虐殺行脚 埼玉・群馬編(3):前口上(14.12)

 なお埼玉県で虐殺が多発した理由について、吉村昭氏は『関東大震災』(文春文庫)の中でこう述べられています。長文ですが、引用します。
 東京府、横浜市の罹災者は、飢えと渇きに苦しめられた。政府機関も軍隊も貯蔵してあった食糧を放出したが、食糧庫の大半は焼失していたのでその量は乏しく、罹災者を救出することは出来なかった。
 政府機関は、飢餓状態にあった罹災者に地方へ行くことを奨励し、また罹災者たちも故郷や身寄りを求めて災害地からはなれることを希望した。そして、唯一の輸送機関である鉄道に殺到した。
 しかし、震火災で鉄道路線とその施設は、徹底的に破壊され焼失してしまっていた。(中略)
 そうした中で、東北線の被害は比較的軽微であった。
 起点は上野駅だが、上野駅から日暮里駅までの間は、線上に地震再来を恐れる者や家を焼失した群衆がひしめいていたので、列車の走行は不可能で、結局日暮里駅が発駅になった。(中略)
 このような…列車輸送によって、罹災者は続々と地方へ散っていったが、それは同時に朝鮮人に関する流言を全国に流布することにもなった。
 かれらは、朝鮮人来襲の流言をかたく信じこんでいて地方の者たちにも昂奮した口調で伝える。事実を知らぬのにあたかも朝鮮人の暴動を目撃したかのように装って話す者や、故意に誇張して説いて廻る者もいて、地方の者たちを戦慄させた。
 自然に地方の各所では自警団に類する組織が結成されて、朝鮮人を迫害する事件が全国的に発生するようになった。
 殊に埼玉県下では、そのような流言を抑止しなければならぬ立場にある県当局の言動によって朝鮮人殺害事件が続発した。
 九月二日、東京方面から流れこんできた避難民の口から朝鮮人襲来説がひろがりはじめたが、その日、県内務部長名で通牒が県下の各町村役場へ通達された。それは、
 「東京に於ける震災に乗じ暴行を為したる不逞鮮人多数が川口方面より或は本県に入り来るやも知れず、又其間過激思想を有する徒之に和し、以て彼等の目的を達成せんとする趣聞き及び漸次其毒手を揮はんとする虞有之候。就ては此際警察力微力であるから町村当局者は、在郷軍人分会、消防手、青年団員等と一致協力して其警戒に任じ、一朝有事の場合には速かに適当の方策を講ずるよう至急相当手配相成度き旨其筋の来牒により此段移牒に及び候也」
 という内容であった。
 この通牒は、県当局が流言を事実と断定したことを意味していた。また兇徒化するおそれがある自警団の編成を奨励し、一朝有事の場合には速かに「適当の方策を講ず」べしと命令したことは、朝鮮人を殺傷してもよいと解釈された。
 これによって一般県民も流言を事実と信じ恐怖は一層つのった。そして、県当局の命令に従って各町村では自警団が組織され、団員は凶器を手に行動するようになった。
 またこの通牒は、内務部長が警察部長と合議の末発せられたものだったので、県下各警察署も自警団とともに殺害事件に加担するという結果をひき起した。
 しかし、自警団の過激な行動は、やがて警察に大きな不安を与えるようになった。自警団員は日本刀などを手に通行人を厳しく検問し、警察官にも威嚇するような態度をとる。また県警察部内でも自警団に対して警戒の念をいだくようになり、朝鮮人すべてが危険であるはずがないという反省もあって、善良な朝鮮人を自警団の手から守るために群馬県下に移送することに決定した。警察部では、自警団の編成をうながしながら、その強大な組織に畏怖を感じたのだ。
 しかし、その移送は、無思慮な危険きわまりない行為であった。かれらを移送することは、各警察署内に閉じこめていた多くの朝鮮人を兇徒化した自警団員たちの面前にさらすことにもなったのだ。(p.168~75)

by sabasaba13 | 2016-11-05 06:31 | 関東 | Comments(0)
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