虐殺行脚 埼玉・群馬編(11):浄眼寺(14.12)

 寄居駅から持参した地図を片手に十数分歩くと浄眼寺に着きました。三門の近くにに無縁仏が集められていましたが、そこに「鮮覚悟道信士」という戒名だけが刻まれた小さな墓石がありました。
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合掌

 ただその由来などは一切記されておりません。もしご存知の方がおられましたら、ぜひご教示を乞いたいと思います。

 もう一つのお目当ては児玉町旧配水塔です。途中に珍しい透かしブロックがあったので撮影。また「はにぽん」という本庄市のゆるキャラがありました。今調べてみると、市内の遺跡で発掘された「笑う盾持人物埴輪」と本庄市の「ほん」を合わせて命名されたそうです。
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 浄眼寺から歩いて十分ほどのところに配水塔が屹立していました。解説板があったので転記します。
 本庄市児玉町の市街地域は扇状地地形のため生活用水が潤沢ではなく、近代水道の敷設は永年の悲願であった。この旧配水塔は、昭和3年(1928年)に着工され昭和6年(1931年)に竣工した埼玉県内で三番目につくられた近代水道施設の配水施設である。
 配水塔の構造は、隣接地に配置された地下の集水池から塔一階に設置されたポンプによって配水塔の上方の貯水槽に揚水し、自然流下の方式で各戸へ配水するものであった。この配水塔は、ドーム形天井をもつ高さ17.7メートルの筒型の建造物であり、給水人口5000人に供給する目的で設計された。現在はその役割を終え児玉地域の近代化のシンボルとして親しまれている。
 円形の窓が縦に連続して並ぶ、なかなかモダンな造形でした。町のランドマークとしてきっと、住民の方々にとっては忘れられない建築だったことと思います。文化財として保存した行政の見識に敬意を表します。解体する費用がなかっただけかもしれませんが。他所へ移り住み、ここに帰ってきた人はこの配水塔を見上げて、幼い日々を思い出し故郷に戻ってきたと実感するのではないでしょうか。

 本日の二枚です。
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 2016.12.6 追記 後日、『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』(山田昭次 創史社)を呼んでいたところ、この碑についての由来がわかりました。引用します。
 その後、埼玉県では1932年9月30日に児玉郡児玉町(現本庄市)八幡山の浄眼寺の門の脇に児玉警察署一同によって1923年9月5日にこの地の群衆が虐殺した朝鮮人犠牲者一名、一説に二名の墓碑が建立された。墓碑正面には「鮮覚悟道信士」と戒名が刻まれているが、被葬者が朝鮮人であることは示されていない。(p.209)

by sabasaba13 | 2016-11-17 06:29 | 関東 | Comments(0)
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