虐殺行脚 埼玉・群馬編(13):児玉(14.12)

 それでは児玉駅へと戻りましょう。途中に、田島屋という古い旅館がありました。養蚕業が殷賑を極めていたころは、きっとこちらを定宿にしてたくさんの商人が押しかけてきたのでしょうか。「屋嶋田」と刻まれた立派な瓦は、きっと児玉瓦ですね。
 その近くにあったのが「久米六の井戸」。解説板によると、鎌倉時代に武蔵国を割拠した武士団、武蔵七党のひとつ児玉党の正系、久米家の館にあった井戸だそうです。当主が代々六右衛門を名乗ったので"久米六"と呼ばれたそうな。
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 そして偶然に出会えたのが、駅の近くにあった競進社模範蚕室です。切妻屋根の細長い木造平屋に、高窓が四つぴょこぴょこぴょこぴょこと乗ったユニークな建物ですが、貴重な物件なので解説を転記します。
 この蚕室は、養蚕技術の改良に一生をかけた競進社社長木村九蔵が、明治27年(1894年)に、競進社伝習所内に建てたもので、本県に数少ない産業構造物の遺構です。
 木村九蔵は、炭火の火力で蚕室の湿気を排除し、病蚕を防ぐ「一派温暖育」と称する蚕の温暖飼育法を考案した。
 この蚕室の構造は、換気に綿密な配慮がなされ、彼の考案した温暖飼育法の効果が、十分発揮できるように設計されている。
 すなわち、戸・障子の開口部を広く取り、床下に吸気口と煉瓦積の炉を設け、天井は空気が通り抜けるよう小間返しとし、高窓はロープで開閉できるようにするなどの、数々の工夫がみられる。
 この競進社流の蚕室と飼育法は、同社から巣立った多くの卒業生によって、全国に広められ、我が国の養蚕業の発展に大きく貢献した。
 こうした名もなき方々の地道な努力が、日本の近代化を支えたのですね。家に帰ったら、「ベイシー・イン・ロンドン」の「シャイニー・ストッキイング」を聴きながらグラスを傾け、その営為に思いを馳せることにしましょう。なお同様の物件として、群馬県安中に旧碓氷社事務所がありました。よろしければご一読を。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-11-20 07:26 | 関東 | Comments(0)
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