虐殺行脚 埼玉・群馬編(14):児玉(14.12)

 なおこちらには「児玉地域文化財マップ」があったので、再訪のために撮影しておきました。
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 つらつらと眺めると…「秩父事件 金屋戦争激戦地」がありました。しかし旧給水塔の先にあるので、これから戻るとすればかなり時間がかかります。これからの予定もあるし、泣いて馬謖を斬る、訪れるのは断念しました。再訪を期しましょう。こんな時に折りたたみ自転車があればなあ…と、これは伏線です。
 秩父事件については、先日掲載した秩父編でふれましたので、よろしければご一読を。金屋戦争については、「秩父事件と和同開珎」というサイトに下記の記述がありました。
 しかし、皆野の本営が崩壊した後も、各地で戦闘が行われています。「恐れながら天朝様に敵対するから加勢しろ」の大野苗吉らが指揮する5~600の部隊は、塙保己一の故郷・旧児玉町(現本庄市域)の金屋に転戦し、鎮台兵70余及び警察官と小銃戦となりました。この戦闘では、困民党側に死者6名、負傷者9名、軍・警察側に負傷者4名が出ました。大野苗吉は、この最中、銃弾を受けて倒れたと伝えられています。
 ここ児玉は、塙保己一の故郷だったのですね。なお彼の墓所は東京の愛染院にあります。

 それはさておき、以前にも書きましたように、秩父事件とは、進行しつつある近代(優勝劣敗の競争社会)化に対し、「弱者を助けない強者には制裁を加えてよい」という前近代の社会通念(モラル・エコノミー)に基づいた抵抗だと考えます。しかし警察と軍隊の前に敗れ去り、こうした抵抗は消滅しました。言うなれば、秩父事件は近代化に対する最後の抵抗でした。以後民衆は、他者を蹴落とすためにひたすら勤勉に働くことになります。しかし(当然ですが)ほとんどの民衆は強者・富者になれず、心には不安感・孤立感・劣等感が宿ることになります。それらを解消するために、ナショナリズムと差別意識が、民衆の間に浸透していったのではないでしょうか。強大な国家の一員であると意識して、自尊心と一体感を感じるナショナリズム。弱者(女性・被差別部落・アイヌ・沖縄人・朝鮮人・中国人)を見出すことによって、優越感・満足感を充足させる差別意識。関東大震災時における朝鮮人虐殺は、このナショナリズムと差別意識が結びつき、暴発した時に起こったのではないでしょうか。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-11-21 08:21 | 関東 | Comments(0)
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