虐殺行脚 埼玉・群馬編(16):成道寺(14.12)

 閑話休題。さて肝心の成道寺ですが、目抜き通りから路地を入ったところにありました。見事な屋根瓦が印象的ですが、やはり地元産なのでしょう。道路をはさんだ向かい側に墓地があり、そこに入ったすぐ右側に慰霊碑がありました。
c0051620_6332264.jpg


合掌

 いったいここ藤岡では何が起きたのか。まずは『関東大震災』(吉村昭 文春文庫)から引用します。
 群馬県多野郡藤岡市では、九月二日頃から早くも朝鮮人来襲の流言が、東京方面からの避難者の口から伝わりはじめていた。そしてその日、同郡鬼石町の自警団員が不審な朝鮮人一名をとらえて藤岡町の藤岡警察署に連行した。
 警察では、その朝鮮人を検束して厳重な取調べをおこなったが、かれには自警団員の訴えるような不穏な点は全く見られなかったので、五日に釈放した。
 が、その頃藤岡町の空気は極度に険悪なものになっていた。それは前日に埼玉県本庄町等で起った朝鮮人殺害事件の発生が伝わってきたためであった。しかもその報せは、朝鮮人が貨物自動車で本庄町等に来襲した結果起ったものであるとして伝えられたので、町民の恐怖はたかまり、夜も自警団が交代で検問と警戒をつづけていた。
 その頃、内務省から朝鮮人来襲説は根拠のない流言にすぎないという指示があって、県警察部では朝鮮人の保護に手をつけはじめていた。
 そして、藤岡警察署でも警察部からの指令で五日早朝に朝鮮人労働者ら十七名を署内に収容し、震災後の行動を取調べていた。
 藤岡町では、それら朝鮮人が警察に検束されたことを知って不穏な空気がたかまった。
 そして、日没頃から自警団員らが、竹槍、棍棒、鳶口、日本刀、手槍、猟銃等をたずさえて各所に集りはじめ、警察に向かって動きはじめた。人の流れは他の流れと合流し、日が没した頃には、警察の周囲に群衆がひしめいていた。
 自警団員は群衆とともに気勢をあげて喧騒をきわめたので、勤務中の巡査部長が五名の署員とともに応接した。これに対して自警団員数名が、
 「九月二日に、われわれ自警団が不逞朝鮮人をとらえて警察に渡したのに、警察ではろくに調べもせず釈放したのはどういうわけだ。このように朝鮮人の来襲が各地で起っている時に、釈放するなどとは論外だ」
 と、激しくなじった。
 巡査部長は、
 「不審な点が全くないことがわかったので釈放したのだ」
 と答えたが、自警団員らは承服せず、警官に荒い言葉を浴びせかけはじめた。
 群衆も曖昧な警察側の回答に憤激し、
 「今、鮮人をどこにかくしている。逃がしたのだろう。嘘をつくとただではすまないぞ」
 と威嚇し、さらには署内にいる朝鮮人を引渡せと要求した。
 提灯の灯はさらに増して、凶器を手にした群衆の数は五、六百名に達し、かれらは口々に朝鮮人を引渡せと叫んだ。
 「やっつけろ、やっつけろ」
 と煽動する声に、自警団員と群衆は警察署内に乱入した。そして、留置場の板塀をこわし、場内になだれこんだ。
 かれらは狂ったように看守巡査を殴打し突き倒し署内を荒し廻った。そして、
 「朝鮮人をかばう警察は、社会主義だ」
 「朝鮮人をにがした警察官は殺してしまえ」
 と、口々に叫び、遂に留置場から朝鮮人十七名中十六名を引きずり出して殺害してしまった。
 さらに翌日の夜にも、約千名の群衆が押しかけて投石の後署内になだれこみ、重要書類を場外に持ち出して焼却し、署長官舎にも乱入して家財を叩きこわした。そして、その日収容していた朝鮮人一名を路上にひきずり出して殺害した。
 この間、署員は群衆の慰撫につとめたが、暴徒化した群衆を制圧することが出来ず殺害事件を傍観する形になった。(p.178~80)

 本日の一枚です。
c0051620_6342321.jpg

by sabasaba13 | 2016-11-24 06:35 | 関東 | Comments(0)
<< 虐殺行脚 埼玉・群馬編(17)... 虐殺行脚 埼玉・群馬編(15)... >>