虐殺行脚 埼玉・群馬編(17):成道寺(14.12)

 もう一つは、群馬県玉村町町会議員石川まさお氏のブログです。
 1923年9月1日の関東大震災に際し、デマ・流言飛語により全国で6000人とも言われる朝鮮人が日本人の手により虐殺された。藤岡市でも9月5日、藤岡警察に「保護」されていた朝鮮人17人が、警察に乱入した自警団により虐殺された。
 当時の藤岡警察は成道寺の隣にあり、当時の藤岡町長の依頼で成道寺に埋葬された。以来、墓地には犠牲者の慰霊碑が建てられ、先代の住職自筆による当時の状況が書かれている。

 〈流言や官民やや狼狽の色ありて、各県皆在郷軍人会、青年団、消防団を持って自警団を組織し、各自獲物をもって昼夜警す。ただし、警察、役場より通知を発し組織せしむ。なお、警察は自警団に対し朝鮮人を発見次第警察に同行して来たれと命ず。ときに人心激高の極みに達し、朝鮮人と見れば皆敵国人を見るがごとく、殺気充満す。たまたま、新町鹿島組配下岩田金治郎方に雇いし者12名、他より5名、当藤岡署に保護す。
 民衆9月4日武州本庄町神保原にて百数十人撲殺の実況を視察し、藤岡もかの例にならい、国賊朝鮮人を撲滅すべしとなし、警察に談判すること数日、ついに夜8時ごろより10時、民衆数千人警察前に集まり、拘置所を破壊し、16人引き出し、門前にて撲殺し警察に並べて死の山となす。なお7日の夜、民衆非常に激昂し、残りの一人の朝鮮人を拘置所より出し、殺し、警察を破壊し、8時より11時までまったく無警察状況となり。乱暴すること非常なり。当夜警鐘を乱打す。18日町役場より命を受け
岡住豊吉(朝鮮人の日本名)ら17名の朝鮮人の死体を集め大葬す。即ち、遺骨は成道寺墓地に埋める〉 一読慄然、肌に粟が生じます。これが人間のすることか… こうした虐殺事件の裁判で、朝鮮人のために尽力した弁護士・布施辰治の、臓腑を抉るような言葉を思い起こします。
 殺されたものの霊を吊(とむら)うの前に先ず殺したものを憎まねばならぬ、呪わねばならぬ、そしてその責任を問うべきである。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-11-26 05:29 | 関東 | Comments(0)
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