虐殺行脚 埼玉・群馬編(30):安盛寺(14.12)

 前橋駅に戻って自転車を返却し、両毛線に乗って高崎へ。そして高崎線に乗り換えて神保原へ。駅から歩いて数分のところに安盛寺があり、こちらに「関東震災朝鮮人犠牲者 慰霊碑」が建立されています。
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合掌

 ここ神保原で何が起こったのか。「かみさと歴史散歩」というサイトに紹介されていたので、引用させていただきます。まず裏の碑文です。
 大正12年関東大震災に際し朝鮮人が動乱をおこしたとの流言により東京方面から送られてきた数十名の人々がこの地において悲惨な最期を遂げた尓来20有9年そのままに放置されていたのであるがこのたび理解ある日朝両国人有志によって慰霊碑を建設することになった我々は痛恨の中にもこの碑の建立によって過去の誤ちを再びくりかえすことなく今后互いにアジアの同胞として相親しみ深き反省と自重とをもって相たずさえて永遠に平和な東洋の建設に邁進したいこの碑がその道標ともなり金字塔ともならんことを祈ってやまない次第である
 そして事件の概要です。上里町では震災の被害はありませんでしたが、埼玉県へ約9万以上の避難民がやってきます。その大混乱のなかで「社会主義者が暴動を起こす」とか「朝鮮人が放火をする」とか「朝鮮人が井戸に毒物を投げ入れる」とかいう事実無根のうわさがかなりの真実味をもって広がりました。流言が激しくなったので管内の朝鮮人を警察署に保護する命令がでます。この警察署に保護というところがさらに流言に真実味を帯びさせることになりました。命令を誤解した住民から「朝鮮人が東京から西北に向かってくる。各自家に帰って井戸を警戒するように」などとどんどん流言は広まっていきました。この土地の人々はますます過敏になり、事態を重く見た埼玉県知事が「噂は事実無根である」と通知したがまったく利き目はありません。このままでは過敏になった住民から保護するのは困難であるとの判断から、さらに中山道をくだり群馬へいこうという途中で(ちょうど神流川のあたり)、ついに興奮した群集は、朝鮮人を載せたトラックをむりやりとめ襲い、中に乗っていた朝鮮人を引きずり出し全員殺害しました。この上里町で計42人の朝鮮人が犠牲になりました。こののちこの事件で19人が検挙されました。殺害されてしまった朝鮮人はすべてこの碑のある安盛寺に埋葬され、今でも毎年慰霊祭が執行されています。

『関東大震災』(吉村昭 文春文庫)によると、既述の熊谷とここ神保原で起きた虐殺事件が発端となって、各地の自警団による集団暴行が激化していったとのことです。(p.176) これに既述ですが、藤岡の成道寺住職が残した記録にも、"民衆9月4日武州本庄町神保原にて百数十人撲殺の実況を視察し、藤岡もかの例にならい、国賊朝鮮人を撲滅すべしとなし、警察に談判すること数日、ついに夜8時ごろより10時、民衆数千人警察前に集まり、拘置所を破壊し、16人引き出し、門前にて撲殺し警察に並べて死の山となす"とありました。

 なお『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』(山田昭次 創史社)に、下記のような一文がありました。
 1952年4月20日、埼玉県児玉郡神保原村(現上里町)の安盛寺境内に「関東大震災時朝鮮人犠牲者慰霊碑」が建立された。この追悼碑建立の賛助者として碑面には「埼玉県、埼玉県議会、児玉郡町村長、同議長、同農業共同組合長、日朝有志」が記されて、発起者としては「神保原村、賀美村、埼玉県朝鮮人」が記されている。
 この記載を見ると、日本人が中心になってこの追悼碑を建立したように見える。しかし実際はそうではなく、朝鮮人の意思が強く働いて追悼碑が建立された。神保原村の庄司銀助jlは1946年に金某という朝鮮人や清原という人物とともに神保原朝鮮人朝鮮人虐殺を調査した。それは「事件を明らかにして日本の自治体やなにかに、その責任を持たせて改めて供養などをさせるようにしようじゃないか」と考えたからである。そうした日本人の自主的な動きもあった。
 しかし伊藤浜五郎は、「戦後、私が賀美村の村長をしていた時に、朝鮮人が多勢役場に来まして、この事件の慰霊碑の話が出ましたが、私は建てるべきだと思い、神保原の村長と一緒に協力し」、追悼碑を建立したと回想している。庄司も「戦後になって朝鮮の解放の結果があらわれてきまして、朝鮮の人達が強くなりまして、そこで震災当時の事件が持ち上り…」と、朝鮮人が建碑の原動力だったことを語っている。
 しかし、それにもかかわらず、哲学者柳田謙十郎が執筆したこの碑の碑文の冒頭は「大正十二年関東大震災に際し朝鮮人が動乱を起こしたとの流言により東京方面から送られてきた数十名の人々がこの地において悲惨な最期を遂げた」と書かれ、この地の民衆が虐殺者であることの記載が避けられている。(p.261~3)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-12-16 06:28 | 関東 | Comments(0)
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