虐殺行脚 埼玉・群馬編(31):長峰墓地(14.12)

 神保原駅へ戻る途中で、珍しい透かしブロックと古い建物を撮影。後者は郵便局のような気もしますが確証はありません。
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 神保原駅から高崎線に乗ると、次の駅が本庄です。地図を片手に二十分ほど歩くと城立寺長峰墓地に着きました。こちらに「関東震災朝鮮人犠牲者 慰霊碑」があります。

合掌

ここ本庄では何が起きたのか。『関東大震災』(吉村昭 文春文庫)から引用します。
 この両事件(※埼玉県大里郡熊谷町・児玉郡神保原町)を発端として、その後各地の自警団員らの集団暴行はさらに激化して官憲にも反抗し、警察署を襲って収容されている朝鮮人を殺害する事件も続発するようになった。
 九月四日午後八時すぎ、埼玉県警察部では朝鮮人十数名を貨物自動車に乗せて送り出し、さらに二台の貨物自動車で数十名の朝鮮人を群馬県内に向かって出発させた。貨物自動車には、自警団の検問を通過できるように「埼玉県警察部」と書き記した旗をかかげていた。
 後発の二台の貨物自動車は途中本庄警察署に到着したが、先発の貨物自動車は群馬県多野郡新町の自警団にさえぎられて群馬県内に入ることが出来ず、本庄警察署に避難してきた。
 これら三台の貨物自動車に朝鮮人多数が乗っているのを目撃した住民たちの中から、
 「朝鮮人の来襲だ」
 と叫ぶ者がいて、それはたちまち人の口から口に伝わった。
 自警団では、団員を鐘楼に駈け上らせ警鐘を乱打させた。
 夜の町に鐘の音がひびき、それを耳にした他の鐘楼でも鐘がたたかれ、本庄町とその周辺は騒然となった。そして、女子供はかたく戸をしめて家に閉じこもり、男たちは提灯を手に日本刀、シャベル、鳶口、鉄棒をもって本庄警察署附近に集まってきた。
 群衆は急激に増加してその数は三千人にも達し、警察署の周囲は、提灯の灯でうずまった。
 かれらは口々に、
 「朝鮮人を出せ」
 と、警察署員に向かって連呼し、狼狽する署員の制止をふりきって署内に乱入した。そして、貨物自動車で移送途中の朝鮮人が収容されている演武場その他に殺到した。
 群衆は、翌五日朝までに建物を鳶口等で破壊し、朝鮮人三十三名をとらえると、熊手、日本刀、鉈、鳶口、長槍等で殺害した。
 警察の非力を知った群衆は、自警団員を中心に一層凶暴化した。すでに本庄町とその周辺は無法地帯になっていて、煽動者は、バンザイ、バンザイと叫び、凶器を手に、
 「やっちまえ、やっちまえ」
 と、町の所々に集る群衆に声をかけて歩いた。
 翌六日午後、本庄警察署長村磯重蔵が帰署してきたことを知った煽動者たちは、日頃から署長に反感をいだいていたので、群衆に、
 「署長を殺してしまえ」
 と、説いて歩いた。
 群衆もこれに応じて警察署周辺に集り出し、夜に入った頃にはその数も数千名にふくれ上った。
 煽動者たちは、署長を殺し警察に放火せよと叫び、遂に午後八時頃署内に喚声をあげてなだれこんだ。
 署長はその間に逃れたが、煽動者たちは、日本刀、シャベルをふりかざして署員をおどし、署内を荒し廻った。
 警察では軍隊の派遣を乞い、それによってようやく鎮圧することが出来た。(p.176~8)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-12-18 08:12 | 関東 | Comments(0)
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