虐殺行脚 埼玉・群馬編(32):長峰墓地(14.12)

 『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』(山田昭次 創史社)によると、戦前に建立された追悼碑の碑文は「鮮人之碑」という差別的な表現だったので、在日朝鮮人の方々から納得できないという声が上がり、1959年秋に新たに建立された碑だそうです。原水爆禁止日本協議会理事長安井郁が執筆した碑文の一部には次のように記されています。
 一九二三年関東震災に際し朝鮮人が動乱を起こそうとしたとの流言により東京方面から送られてきた八十六名の朝鮮人がこの地において悲惨な最期を遂げた。我々は暗い過去への厳粛な反省と明るい未来への希望をこめてこの碑を建立し日朝友好と世界平和のために献身することを地下に眠る犠牲者に誓うものである。
 "悲惨な最期"か… さきほど訪れた神保原の安盛寺慰霊碑も同じ表現でした。"日本人が朝鮮人を虐殺した"と書きたくないのですね。なぜ過去を直視しないのでしょう。ヴァイツゼッカーが演説で "過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです"と語ったように、また同じことを繰り返しそうな悪寒を感じます。その前触れでしょうか、1999年9月7日にここ長峰無縁墓地で、この慰霊碑を囲む石柱23本の内、7本が倒されるという事件が起こりました。また碑の西側にある無縁の墓34基の内、27基が倒され、うち7基がハンマーで割られたそうです。目撃者の証言によると30代から40代の男が犯行に及んだらしいのですが、逮捕することは出来ずに時効を迎え有耶無耶となってしまいました。これほど陰湿な悪意と憎悪を、人間は持てるものなのですね。
 インターネットでいろいろと調べているうちに、もう一つ気になることがありました。本庄市のホームページで見つけたのですが、「新たに慰霊碑を建立する必要はない」という市民の意見に対して、本庄市はこう答えています。
 関東大震災における朝鮮人の虐殺事件につきましては、○○様のご紹介のとおり、毎年9月1日に、「過ちは二度と繰り返さない」ことを誓って、長峰墓地において犠牲となった人々の慰霊追悼式を行っております。また、事件の現場であります旧本庄警察署である現在の本庄市立歴史民俗資料館において、事件についての資料や写真を常設展示しているところです。
なお、この事件については、本庄市といたしましては平成7年発行の『本庄市史』通史編3において、「朝鮮人事件」として22ページにわたって、記述しており、地域住民の中にもこの悲惨な事件を制止した人々のいたことも「一連の事件に対する美談」として示し、事実は事実として、公正・中立な記述となっております。
本庄市では、この事件を史実として継承していくことが大切であると考えておりますが、事件のあった現本庄市立歴史民俗資料館敷地内への石碑建立の件につきましては、要望される方々がいらっしゃる一方、反対の立場の方々もいらっしゃいますので、充分にその対応について検討をしてまいりたいと考えております。(略)
 いずれにいたしましても、本庄市では、この石碑建立の件につきましては、公正・中立な立場で対応してまいりたいと考えておりますので、今後ともご提言ご協力を賜りますようお願い申し上げます。
 事件を記憶に留めようとする立場、留めなくてもよいという立場、事件はなかったとする立場、そうした立場から行政は等距離をとるということでしょうか。"中立"という言葉を安易に使うことに、ちょっと危ういものを感じます。メディアと違って行政には限界があるのは理解できますが、「非人間的な行為を二度と繰り返すまい」という立場、そしてそれを実現しようとする努力は放棄しないでほしいと考えます。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-12-19 06:57 | 関東 | Comments(0)
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