円山応挙展

円山応挙展_c0051620_6352562.jpg NHKの「日曜美術館」で、円山応挙展が根津美術館で開催されていることを知りました。円山応挙(1733‐95)、伊藤若冲(1716‐1800)とほぼ同時代人ですが、彼の奇想と華麗に比してやや影が薄い存在です。私も「写生」の絵師という単純なイメージしか持っていませんでした。しかし番組を見て、そう一筋縄ではいかない絵師であることを知り、一日休暇がとれた先日の土曜日に行ってきました。なお山ノ神は仕事のために同行できず、臍を噛んでおりました。ほぞほぞ。夜、渋谷に映画を見にいこうと誘って慰めましたが。
 まずは『カラー版 日本美術史』(監修:辻惟雄 美術出版社)から、応挙についての解説を引用します。
 江戸中期の絵画様式のなかでいまひとつ特筆すべきものに、写生画がある。この写生画の場合、京坂と江戸では様相を異にしている。京坂の場合、どちらかといえば中国的写生画の傾向を多くもり、江戸は洋風写生画の影響をより多く受けた。
 京坂の写生画は円山応挙が基礎を形づくった。応挙は丹波国で生まれ、京に出て、初め眼鏡絵制作にたずさわり、石田幽汀に就いて狩野派を学んだりもするが、滋賀の円満院門主祐常の知遇を得る頃から、新しい写生画風に目ざめた。応挙の絵画は単に事物を写実的に描くというのではなく、いったんそれを我身に引き入れて、堅固な構図のなかに構成し直すのである。雪松図屏風や、藤花図屏風を見れば、そのことは明らかであろう。応挙のこの画風は表面上は平明に見えることもあって、京都中の様々の階層から圧倒的な支持を受けることとなり、狩野家や土佐家を上回る勢力を有するようにもなった。円山派はかくして一大画派となるのだが、その運命は皮肉にも狩野派の場合と酷似しており、弟子たちは応挙の祖述にいそしむばかりで、応挙を越えようとする意志は初めからなかったといってよい。(p.141~2)
 半蔵門線の表参道駅でおりて、十分ほど歩くと根津美術館に到着。思えば、大学生の時に光琳の「燕子花図屏風」を見にきて以来の来館です。竹をあしらった洒落たプロムナードを抜け入口に着くと、それほどの混雑ではないので一安心。
 まず眼を魅かれたのが「藤花図屏風」です。華麗かつ精緻に描かれた藤の花房、「付立て」という技法で一気に筆で引かれた幹、その密と粗の対照が面白いですね。そして背景は何も描かれていない総金地。装飾的な幹と背景、写生的な花房、それらをまとめあげる絶妙の構図。しばし見惚れてしまいました。
 一転、「雲龍図屏風」では、朦朧とした大気をダイナミックに引き裂いてのたうちまわる二匹の龍が描かれています。空想の聖獣を見事に描きあげたその迫力ある筆致に、「応挙=写生」という私の先入観は木っ端微塵に打ち砕かれました。特に右隻の龍は、胴の太さを微妙に描き分けることによって奥行きと動きを表現しています。
 「藤花狗子図」は愛らしい小品です。単なる"写実"でしたら猫好き犬嫌いの小生としては鼻もひっかけないでしょうが、その私が思わず頬ずりをして肉球を瞼に触れさせたくなるような可愛さです。これが"写生"ということなのかもしれません。
 「三井春暁図」は霞にかすむ三井寺を描いた風景画。とは言っても肝心のお寺さんはほとんど見えず、奇妙な言い方ですが、春霞がまるで生きているように蠢き風景をつつみこんでいます。そう、この絵の主人公は霞なのですね。空気を生きているかのように描く、これも応挙の"写生"なのかもしれません。
 圧巻は「写生図巻」、実物写生を清書した作品ですが、これぞ応挙の真骨頂。鳥、昆虫、植物などを精緻に生き生きと描いたスケッチ群です。中でも、何の変哲もない一枚の細長い草の葉をくりかえしくりかえし描いたスケッチが心に残りました。実はこの後に見に行った『シーモアさんと、大人のための人生入門』という映画の中で、このような科白がありました。
 自分も、その美に感化されるままにする。禅の思想家は言った。"菊を描く者がすべきことは、自身が菊になるまで10年間、菊を眺めることだ"
 きっと応挙は、その10年間を何分かに濃密に凝縮して眺め、対象の美を見出し、その美に感化されたのではないかと想像します。
 上階にあがると『七難七福図巻』が展示されていました。経典に説かれる七難と七福をリアルに描くことで、仏神への信仰心と善行をうながす目的で制作された絵巻だそうです。牛を使った股裂きの刑など正視に耐えないグロテスクな絵も多いのですが、荒れ狂う自然の猛威と逃げ惑う人々の恐怖を冷徹に描いた作品は印象的でした。

 というわけで、「リアルに描く」だけの画家・応挙という先入観を、心地よく打ち砕かれた展覧会でいた。さまざまな対象を(藤、子犬、龍、亀、空気…)を、さまざまな技法を駆使して、生き生きと描き、見る者の心を動かす。それが円山応挙の目指していたものかと思いました。これからも末永くおつきあいしていきたい絵師ですね。いつの日にか、ロンドンの大英博物館に行って「氷図屏風」を見たいものです。
 なお帰宅後に『新潮日本美術文庫13 円山応挙』(新潮社)を読むと、円山応挙と与謝蕪村に親交があったことを知りました。例えば、次のような蕪村の句。
筆灌ぐ応挙が鉢に氷哉
 また応挙が描いた黒い子犬に、蕪村が賛の俳句をつけるというコラボレーションもあるのですね。
己が身の闇より吠えて夜半の秋
 この時期の京都は、この二人をはじめ、伊藤若冲、池大雅、曾我蕭白、長沢芦雪らが活躍していた、とてつもなく豊饒な美の都でした。

 根津美術館には、茶室が点在する池泉回遊式の広いお庭があります。展覧会を見終えた後、名残の紅葉を愛で、鳥の声・葉擦れの音に耳を傾けながらしばし散策をしました。
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by sabasaba13 | 2016-12-21 06:37 | 美術 | Comments(0)
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