虐殺行脚 埼玉・群馬編(33):本庄(14.12)

 それでは歴史民俗資料館へと向かいましょう。途中にあった商店のシャッターには、「本庄の偉人 盲目の国学者 塙保己一 世のため後のため」と記されていました。本庄仲町郵便局は、竣工が1934(昭和9)年。外壁をタイル貼とした特異な外観だそうですが、残念ながら大幅な改修のために見えなくなっていました。
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 そして本庄市立歴史民俗博物館に着きました。1883(明治16)年に本庄警察署として建てられた、この地方で初めての本格的な洋風公共建造物です。1935(昭和10)年まで利用されていたので、暴徒たちが取り囲み、なだれ込み、破壊したのがここなのですね。それでは中に入って見学をしましょう。土器や埴輪、本陣関係の資料、および虐殺に関する展示がありました。事件に関する公判の展示が興味深かったので転記します。
公判日割
本庄事件大正十二年十月二十五日 午後九時
裁判長 陪席判事 大中裁判長
検事 根本 下山 今
辯護士 宮崎一 小島周一 高橋泰雄 卜部?太郎
場所 浦和地方裁判所 一号法廷
被告のことば
・かたきをうつつもりで四十五人殺した。
・にくいと思い。
・やれやれと言った。
・フテイ野郎だから。
・当時は名誉だと思ってやった。
 殺した理由が、「やれやれと言った」であるというのはどういうことなのでしょう。ひとつの仮説として、助かりそうになった朝鮮人の方が安堵の思いで発した「やれやれ」という言葉で激情し、殺害したのでしょうか。実は『関東大震災』(吉村昭 文春文庫)にこういう逸話が記されていました。埼玉県大里郡妻沼町で、ある日本人が朝鮮人と間違われて殺されそうになりました。やっと誤解が解けて助かりそうになった時に、思わず両手をあげて「バンザイ」と叫んだそうです。すると殺気立っていた群衆は、その態度に反感をいだき「バンザイとは何事だ。生意気だ、殺してしまえ」と殺害してしまいました。(p.186~7) うーむ、もしかすると彼ら暴徒は、誰でも、どんなささいなきっかけでも、とにかく鬱憤をはらすために暴力をふるいたかった、人を殺したかったのかもしれません。
 「フテイ野郎だから」という理由も興味深い。「勝手に振る舞う・道義に従わない」という「不逞」の意味(大辞林)を知らずに、周囲に付和雷同して殺害した可能性があります。まわりが「フテイ」というレッテルをはりつけた人間は殺してもかまわない、ということなのでしょうか。当時の人々の底無しの深淵を覗き込んだような気がします。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-12-24 06:43 | 関東 | Comments(0)
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