虐殺行脚 神奈川編(5):宝生寺(16.9)

 堀割川にかかる八幡橋を渡ったところでバス停を発見。潔くバスに乗ることにして、天神橋で下車しました。路地に入って十分ほど歩くと、宝生寺に着きました。かなりわかりづらいところにあるので、詳細な地図は必携です。木々に埋もれるような石段をのぼって門をくぐると、そこは鬱蒼とした緑にあふれる境内です。
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 門のすぐ左手に「関東大震災 韓國人慰霊碑」がありました。

合掌

 関東大震災後、横浜で社会活動をしていた李誠七氏が、三ツ沢墓地・久保山墓地などから同胞の遺骨を集めて港北区篠原の東林寺、同菊名の蓮勝寺に埋葬、1924年からここ宝生寺で追悼法要を行なったそうです。1961年に東林寺に納骨堂が建てられ、1971年には李誠七氏の遺志をついだ鄭東仁氏が、在日本大韓民国民団県本部の協力を得てこの碑を建立されたとのことです。碑文を転記します。

 労働市場を求めて来日関東一円に在住した韓國人が大正拾貮年九月壹日正午襲った関東大震災に因る直接又は間接の被害を受けて空しく異國の露と消えたこれらの怨霊は永いこと忘れ去られていたが第二次世界大戦の終結後社会事業家で横浜在住の故李誠七氏の努力と当時の住職故佐伯妙智先生の好意によりこの地に鎭魂以来毎年九月壹日を期して民團神奈川縣地方本部主催で慰霊祭を挙行して来た紀元一九七十年九月壹日例祭の折孫張翼田炳武鄭東仁氏が中心に発起人一同の賛同を得て本県在住同胞有志の浄財の寄付と現住職佐伯眞光先生の土地提供の好意を得て幸い茲に建立永遠に関東大震災による韓國人怨霊の冥福を祈るものである

 一読して棘のように突き刺さってきたのが、虐殺されたことや「怨」の原因については一切記されていないことです。日韓和解のためにあえて記さなかったのか、あるいは日本人によるいやがらせを危惧する故か、それは分かりません。ただ、もし私の家族が虐殺されたとしたら、せめてその事実を石に刻んで永遠に残してほしいと願います。無辜の人びとが日本の警察・軍隊・民衆に殺害され、加害者はほとんど処罰されず、彼らの反省と悔悟の弁もなく、そして政府がまともな調査もせずに事件が忘却の淵に消えるのを待っているという事実を。
 なお1995年、神奈川県関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑建立推進委員会は神奈川県に対して、県による事実調査、県による追悼碑の建立、県下の教育現場での歴史教育の実行などをもとめる要請を行なったとのことです。結果については…だいたい想像がつきます。南京虐殺、従軍慰安婦、強制連行、沖縄戦における日本軍の蛮行、福島原発事故など、自分に不都合な事実はなかったことにしたいお国柄ですから。恥ずかしい。でもこの恥ずかしさを怒りに変えて、政府や自治体を動かしていくのが市民の務めなのですよね。

 本日の一枚です。
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 付記。最近読んだ『世界史としての関東大震災』(関東大震災80周年記念行事実行委員会編 日本経済評論社)に、下記の一文がありました。

 これら以外にも朝鮮人・韓国人が建てた碑がありますが、その後になると、彼らは日本人に遠慮してしまうのです。横浜の宝生寺に韓国居留民団神奈川県本部が1970年につくった碑がありますが、この碑の碑文には、日本にやってきた韓国人が「関東大震災に因る直接又は間接の被害を受けて空しく異国の露と消えた」と書かれています。「直接又は間接」というのは何なのでしょうね。「直接」は地震でしょう。「間接」とは人災=人間による虐殺のことでしょう。こんなまわりくどい、わかりにくい文章を、なぜ書かなければならなかったのか。在日韓国人は日本人の神経を逆なでしたくないと思って、曖昧な文章を書いたのでしょう。そこを日本人が考えてほしい。日本人の無言の圧力がこれだけ韓国人に遠慮させているんだということを察してほしいというのが私の願いです。(p.15)

by sabasaba13 | 2017-01-12 06:34 | 関東 | Comments(0)
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