虐殺行脚 神奈川編(8):東漸寺(16.9)

 そしてすぐに、横浜市鶴見区塩田町3‐144にある東漸寺(とうぜんじ)が見つかりました。空漠とした境内の正面には本堂があり、その正面右手に「故大川常吉氏之碑」という小さな記念碑がありました。碑文を転記します。
 関東大震災当時流言蜚語により激昂した一部暴民が鶴見に住む朝鮮人を虐殺しようとする危機に際し 当時鶴見警察署長故大川常吉氏は死を賭してその非を強く戒め300余命の生命を救護したことは誠に美徳である故私達は茲に故人の冥福を祈りその徳を永久に讃揚する
1953年3月21日 在日朝鮮統一民主戰線 鶴見委員会
合掌

 『県警察史』によりますと、9月2日夕、自警団員が四人の男を朝鮮人だと鶴見署に突出し、「持っている瓶に毒が入っている。たたき殺せ」と騒ぎました。当時、46歳の大川常吉署長は「そんなら諸君の前で飲んで見せよう」と瓶の中身を飲み、暴徒を納得させました。翌日、状況はさらに緊迫します。大川署長は多数の朝鮮人らを鶴見署に保護しましたが、群集約千人が署を包囲し、「朝鮮人を殺せ」と激高します。大川署長は「朝鮮人たちに手を下すなら下してみよ、憚りながら大川常吉が引き受ける、この大川から先に片付けた上にしろ、われわれ署員の腕の続く限りは、一人だって君たちの手に渡さない!」と一喝。体を張っての説得に群集の興奮もようやく収まったかに見えました。しかし、それでも収まらない群集の中から代表者数名が大川に言います。「もし、警察が管理できずに朝鮮人が逃げた場合、どう責任をとるのか」と。すると大川署長は「その場合は切腹して詫びる」と答えました。そこまで言うならと、とうとう群衆は去って行きました。保護された人は朝鮮人220人・中国人70人ら、計300余人に上ります。保護された朝鮮人・中国人は横浜港に停泊中の崋山丸に身柄を移され、その後海軍が引き受けて保護しました。保護された朝鮮人のうち225名はその後も大川署長の恩に報いるべく震災復興に従事したそうです。
 大川常吉氏は1940(昭和15)年に死去、墓地はここ東漸寺にあります。なおこれは今知ったため、墓参はできませんでした。申し訳ない。そして死後13年目の1953年、関東大震災30周年を機にこの石碑が建立されました。大川常吉氏は後年「警察官は人を守るのが仕事、当然の職務を遂行しただけ」と語ったと伝えられています。
 その人間性と胆力には、心から敬服します。ただ彼を「日本人の誇り」と短絡すべきではないでしょう。朝鮮人や中国人を虐殺した、「日本の恥」とも言うべき多くの人びとがいたことと、トレードオフにはできません。それでも氏のような方が、少数とはいえいらしたことはせめてもの救いです。
 そしてバス停から、JR川崎駅行きのバスに乗ってわが家へと帰りました。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-01-17 07:34 | 関東 | Comments(0)
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