虐殺行脚 神奈川編(9):結語(16.9)

 というわけで、虐殺行脚神奈川編一巻の終わり、次回は千葉編です。なお気になることがあったので、紹介します。『関東大震災』(吉村昭 文春文庫)によると、大地震が発生した直後、横浜市では組織立った集団的かつ大規模・悪質な強盗事件が起ったということです。長文ですが、重要な指摘ですので引用します。
 大地震の起った日の夜七時頃、横浜市本牧町附近で、
「朝鮮人放火す」
 という声がいずこからともなく起った。それは東京市内でささやかれていた社会主義者と朝鮮人放火説とは異なって、純然と朝鮮人のみを加害者とした流言だった。
 その流言がだれの口からもれたのかは、むろんあきらかではない。ただ日本人の朝鮮人に対する後暗さが、そのような流言となってあらわれたことはまちがいなかった。
 本牧町一帯は、押し寄せた炎にさらされて類焼中であった。その混乱の中で生れた流言は、炎にあおられたようにその附近一帯にひろがった。そして、一時間ほど過ぎた頃には、近くの北方町、根岸町、中村町、南吉田町に流布し、さらには横浜港外に碇泊する船舶等にまで達した。
 しかし、その流言も横浜市の一地域にひろがっただけで自然現象に関する流言とは比較にならぬほど微弱なものであった。そして、その夜流布された範囲も同地域にかぎられていたが、翌二日の夜明け頃から急激に不気味なものに変形していった。
 流言は「朝鮮人放火す」という単純なものであったのに、夜の間に「朝鮮人強盗す」「朝鮮人強姦す」という内容のものとなり、さらには殺人をおかし、井戸その他の飲水に劇薬を投じているという流言にまで発展した。
 殺伐とした内容を帯びた流言は、人々を恐れさせ、その恐怖が一層流言の拡大をうながした。そして、その日の正午頃までには横浜市内にたちまち拡がり、鶴見、川崎方面にまで達してしまった。
 さらに日没近くになると、横浜市西戸部町藤棚附近から、
「保土ヶ谷の朝鮮人土木関係労働者三百名が襲ってくる」
 という風説につづいて、
「戸塚の朝鮮人土木関係者二、三百名が現場のダイナマイトを携帯して来襲してくる」
 という流言すら起った。それは、具体的な内容をもっていただけに短時間に横浜市から市の近郊にまで伝わった。
 このような朝鮮人に関する風説については、後に横浜地方裁判所検事局で徹底した追跡調査がおこなわれた。それによると検事局では、初めその風説を裏づける事実があったのではないかという判断のもとに、流言の発生地を中心に一般人、警官、軍人等から事情を聴取したという。
 しかし、調査の結果それらの風説は全く根拠のないもので、朝鮮人による放火、強盗、殺人、投毒の事実は皆無で、保土ヶ谷、戸塚の土木関係労働者の集団的行動もなかった。
 実在しないことが、なぜこのような具体性の濃い流言になってひろまったのだろうか。その根本原因は複雑だが、一般市民が決して幻影におびえただけでもなかった。
 庶民の中からそのような不穏な流言が湧いたのも無理からぬ理由があった。が、それは日本人そのものの中にひそんでいたのだ。
 大地震が発生した直後、東京市では軽微な盗難が随所に見られたが、横浜市では大規模な強盗事件が起った。しかも、それは組織立った集団的なもので、災害に乗じたきわめて悪質な性格をもっていた。
 その代表的なものは、立憲労働党総理山口正憲を主謀者とする集団強盗事件であった。
 山口は、横浜市中村町に居宅をかまえていたが、正午直前起った大地震で家が倒壊寸前になったため、附近の小学校に避難した。
 小学校には、家財をたずさえた避難民の群がひしめき、絶えず襲ってくる余震と随所に起る火災に平静さを失っていた。
 かれらの大半は、昼食をとることも出来ず家を逃れてきた者ばかりで、救援物資が到着する望みはうすく飢えと渇きに対する激しい不安をいだいていた。
 山口も同様だったが、かれは避難民を煽動して物資を調達しようと企て、避難民を集めると、立件労働党総理であることを名乗って拳をふり演説をはじめた。そして、避難民を救うために「横浜震災救援団」という団体を結成したいと提唱した。
 避難民たちは、巧みなかれの弁舌に感激し一斉に賛意を表した。
 山口は、さらに自ら団長に立候補することを伝え拍手のうちに団長に推挙され、多数の者がその場で入団を申出た。
 山口は、物資の調達が結局掠奪以外にないことをさとり、団員の中から体力に恵まれた者を選び出して決死隊と称させた。これらの男たちは、ただ騒擾のみを好む者たちばかりであった。
 いくつかの決死隊が編成され、山口は、かれらに赤い布を左腕に巻きつけさせ赤い布を竿にしばりつけさせて、物資の掠奪を指令した。
 かれらは、日本刀、竹槍、鉄棒、銃器などを手に横浜市内の類焼をまぬがれた商店や外人宅などを襲い、凶器をかざして食糧、酒類、金銭等をおどしとって歩いた。その強奪行動は、九月一日午後四時頃から同月四日午後二時頃まで十七回にわたって繰り返された。
 この山口正憲を主謀者とする強盗団の横行は、自然に他の不良分子に影響をあたえた。かれらは単独で、または親しい者を誘って集団で一般民家に押し入り、掠奪をほしいままにした。つまり横浜市内外は、地震と大火に致命的な打撃を受けると同時に強盗団の横行する地にもなったのだ。
 一般市民は恐怖におののいた。かれらは赤い腕章をつけ赤旗をかざした男たちが集団を組んで人家を襲うのを眼にし、凶器で庶民を威嚇するのを見た。市民には、それらの集団がどのような人物によって編成されているのか理解することは出来なかった。
 そうした不穏な空気の中で、「朝鮮人放火す」という風説が本牧町を発生源に流れてきたが、だれの口からともなく町々を横行する強盗団が朝鮮人ではないかという臆測が生れた。
 日本人と朝鮮人は、同じ東洋民族として顔も体つきも酷似しているというよりは全く同一と言っていい。一般市民は、その臆測にたちまち同調した。そして、強盗団の行為はすべて朝鮮人によるものとして解され、朝鮮人の強盗、強姦、殺人、投毒などの流言としてふくれ上ったのだ。
 また朝鮮人土木労働者が二、三百名来襲の風説も、凶器を手に集団で掠奪行為を繰り返した日本人たちを朝鮮人と錯覚したことによって起ったものであった。
 横浜地方裁判所検事局は、後になって朝鮮人に関する流言の発生が山口正憲一派をはじめとした強盗団の横行と密接な関係のあることをつきとめたが、さらに山口らが朝鮮人と称して掠奪をおこなったのではないかという疑いもいだいた。そして、検挙した山口をはじめ強盗を働いた者たちを個別に鋭く訊問したが、かれらの供述は一致していて、そのようなことを口にした事実は全くなかったことが判明した。つまり朝鮮人に関する流言は、山口らが作り上げたものではなかったが、かれらの犯行が庶民によって朝鮮人のものとして解釈されたのである。
 流言はたちまち膨張し、巨大な怪物に成長した。そして、横浜市内から人の口を媒介にすさまじい勢いで疾駆しはじめた。
 関東大震災で最も被害の甚だしかった横浜市の市民は、東京方面に群をなして避難していった。そのためかれらの口から朝鮮人に関する流言が、東京方面に素早くひろがっていったのである。(p.132~7)
 これは戦慄すべき事実です。本書の巻末には参考文献の一覧があるので、根拠のないフィクションとは思われません。日本人による凶悪な犯行が、朝鮮人によるものとして解釈され、膨張し、流布されていった可能性、あるいはそうした一面がありそうです。できうる限りそうした事実を掘り起こし、検証し、記録にとどめる必要をますます痛感しました。この歴史を再度生きぬためにも。
by sabasaba13 | 2017-01-19 06:26 | 関東 | Comments(0)
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