虐殺行脚 千葉編(3):茂原(16.9)

 そして路地に入ってすこし歩くと茂原昇天教会に着きました。竣工は1933(昭和8)年、全体像を見ることはできませんが、ハーフティンバー風の玄関ポーチと四本のトスカナ式の柱が洒落た雰囲気をかもしています。
 そして茂原駅に戻り、九十九里教会を拝見しに松尾へと向かいました。そうそう、遅かりし由良之助なのですが、『保存版ガイド 日本の戦争遺跡』(平凡社新書)によると隣りの新茂原駅周辺に掩体壕が現存していることが、今判明しました。同書から引用します。
 1941(昭和16)年、千葉県東郷村(現・茂原市)は突然、海軍航空基地の建設予定地となり、住民たちは海軍省から半ば強制的に移転命令を受けた。そして移転が完了したのは、43年3月頃であったという。その間にも基地建設が動き出しており、海軍施設部などの指揮で兵士が作業にあたったが、地域の住民や中学生たちも動員され、とくに厳しい土木工事では、朝鮮人たちが強制労働させられた。(中略) なお、43年頃より掩体壕建設が始まり、翌年にはかまぼこ形のコンクリート製の構造物が点在するようになり、敗戦時には誘導路沿いに17基あったと記録されている。近年の調査では11基が現存し、6基は破壊され消滅している。(p.117~8)
 韓国併合、独立運動の弾圧、差別、大震災時の虐殺、従軍慰安婦、皇民化政策と創氏改名、そして強制連行と強制労働。日本が朝鮮に対して行なってきた歴史をふりかえると暗澹たる気持ちとなります。そして現在のヘイトスピーチ、過去の歴史に対する真摯な反省はなされていないようですね。いつになったら自慰史観からわれわれは脱却できるのでしょうか。
 なお戦争遺跡としての掩体壕は、過去にもいくつか訪れました。米子の葭津掩体壕、高知空港周辺の掩体壕群、館山の掩体壕などですが、茂原の掩体壕跡も近日中に見に行きたいと思います。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-01-26 06:32 | 関東 | Comments(0)
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