虐殺行脚 千葉編(6):松尾(16.9)

 松尾駅に行き、ふと駅前にあった観光地図を見上げると成東駅からすこし離れたところに「伊藤佐千夫生家 歴史民俗資料館」がありました。生家マニアとしては寄ってみたいところですが、時間的に厳しいかな。ここからタクシーに乗って訪れるという大尽旅行も考えましたが、財布と相談して断念しました。再訪を期す。なお読書というのはほんとうに面白いもので、その後にたまたま読んだ『近代秀歌』(永田和宏 岩波新書1407)の中で、伊藤佐千夫についてふれられていました。引用します。
 牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる

 伊藤左千夫は千葉県の農家に生まれたが、上京し明治法律学校(現在の明治大学)に学んだ後、明治22年(1889)、26歳のとき、牛乳搾取業を起業した。屋号が「乳牛改良社」というのは、時代性を感じさせておもしろいが、元来経営の才には恵まれていたようで、家業は順調に発展していった。
 生業だけでなく、正岡子規亡きあとの根岸短歌会を発展させ、「馬酔木」「アカネ」を経て、「アララギ」を創刊した後は、多くの若い弟子を育て、「アララギ」が近代の一大結社になっていく基礎を築いた。短歌ばかりではなく、雑誌「ホトトギス」に拠って、『野菊の墓』をはじめとする小説を発表するなど、その精力的な活動には目を瞠るばかりである。
 さらに家庭的にも九人の女児と四人の男児の父親となったというから、そのエネルギッシュな活動は、ひ弱く、青白い文学青年というイメージからはほど遠い(子供は、男児は四人とも夭折、女児も一人が池に落ちて死亡するなど、悲しみの多い子育てでもあった)。
 掲出の一首は、まさにそのような壮年期の左千夫の意気ごみが伝わってくるような歌である。制作年次ははっきりしないとされるが、初期の歌であることはまちがいない。牛飼いである私のような庶民が歌を詠む時代になった。だからこそ、このような開かれた時代にふさわしい新しい歌が大いに起こるのだ、という意味。(p.116~7)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-01-31 06:32 | 関東 | Comments(0)
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