富士宮編(4):伊東(17.2)

 「伊東観光番」の壁に貼ってあった掲示を見ると、近くに東郷平八郎の別荘、「東郷記念館」があるとのこと、ちょっと寄ってみました。人柄をしのばせるような質素な木造平屋の日本家屋ですが、彼が夫人の療養のために建てた別荘だそうです。
 東郷平八郎と言えば、戦艦「三笠」に乗り込み、日本海海戦を勝利に導いた名将として知られていますが、彼が日米開戦に関わったことはあまり知られていません。『御前会議 昭和天皇十五回の聖断』(大江志乃夫 中公新書1008)という名著をもとに紹介したいと思います。(p.203~8)
 戦争を回避するための日米交渉において、ぎりぎりの対立点が、中国からの全面撤兵というアメリカの要求を日本(近衛文麿内閣)が受諾するかどうかの一点であったことは周知の事実です。東条英機陸相は、撤兵の責任を陸軍が負わないために、海軍に戦争の自信がないと発言させ、撤兵やむなしとの結論を海軍の責任として出させることを考えていたようです。「反対してくれないか」と東条陸相に頼まれたと、及川古志郎海相は証言しています。日米戦争ともなれば主役は海軍で、海軍が反対しているのに、陸軍が撤兵を拒否すれば対米開戦の責任を陸軍が全面的に負うことになります。しかし自信がないにもかかわらず、及川海相は和戦の「決定は総理に一任したい」と発言し、海軍の態度表明を避けてしまいました。
 彼は後に、「私の全責任なり」と述べ、アメリカと戦えないと海軍が言わなかった理由を二つ挙げています。まず、満州事変(1931)のころ、彼の上司である谷口尚真大将が、対英米戦は不可能なので事変に反対しました。これに対して東郷平八郎元帥が、彼を以下のように面罵したそうです。
 軍令部は毎年作戦計画を陛下に奉っておるではないか。いまさら対米戦できぬといわば、陛下に嘘を申し上げたことになる。また東郷も毎年この計画に対し、よろしいと奏上しているが、自分も嘘を申し上げたことになる。今さらそんなことがいえるか?
 神様にひとしい雲上人である東郷元から、上司である谷口に叩きつけられたこの面罵、「このことが自分の頭を支配せり」と及川海相は語っています。なお東郷平八郎は1934年に死去しているので、大江氏は「死せる東郷が生ける海軍を対米戦に走らせ壊滅させた」と評されています。大江氏は、年度作戦計画は想定にもとづく純戦略計画であり、実際の戦争遂行を指導すべき政略である戦争計画とは次元が違い、この発言は支離滅裂であると批判されています。
 もう一つの理由は、「近衛さんに下駄をはかせられるな」という沢本頼雄海軍次官からのアドバイスによるものです。下手に対米戦に反対すると、"保身術にたけた無定見な公卿出身の近衛"から責任を押しつけられる。そうなれば弱気な海軍に対する国民の激烈な批判も予想されます。そこで近衛の口から「対米戦はできない」と言わせれば、海軍の責任は回避できるということです。
 というわけで、陸軍は海軍に、海軍は近衛首相に、それぞれ戦争決意の責任を転嫁し、結局、1941年10月16日、近衛首相はその責任を回避するために内閣総辞職をしました。そして後任の東条英機内閣によって対米戦が遂行されたわけです。やれやれ。
 これは関東大震災時の虐殺とも通底しますが、官僚(軍人も官僚ですね)・政治家の恐るべき無責任さをどう理解すればいいのでしょうか。大局を概観して熟慮し、責任をもって決断し実行するということを回避するという、日本の政治構造の宿痾。いまだに治癒されていないことに恐怖すら覚えます。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-02-20 07:39 | 中部 | Comments(0)
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