虐殺行脚 東京編(8):法泉寺(16.10)

 八広駅から京成押上線に乗って押上駅へ、そして東武スカイツリーラインに乗り換えて東向島駅に到着です。印刷して持参した地図を片手に十分ほど歩くと法泉寺に着きました。うろうろ探していると、本堂右手の一角に「感謝の碑」がありました。
c0051620_8523265.jpg

 建立したのは鄭宗碩(チョン・ジョンソク)さん。韓国の抵抗詩人・金芝河(キム・ジハ)とも親交があるそうです。彼の祖父一家は、関東大震災時に自警団によって殺されそうになりますが、働いていた工場長の真田千秋さんによって命を救われました。鄭さんは、2001年9月1日に、墨田区向島にある法泉寺(真田家の菩提寺)に、自費をなげうってこの「感謝の碑」を建立しました。

 碑文を転記します。
一九二三関東大震災の混乱のさ中 わが祖父鄭化九一家を虐殺の危機より救ってくださった故真田千秋先生のご恩を生前の父鄭斗満から常々聞かされ深く感銘をうけておりました 遥かな年月を経てしまいましたが先生の崇高な人間愛とその遺徳を讃えここに謹んで感謝の碑を建立させていただきます
二〇〇一年九月一日  迎日鄭氏家門一同
 しかし建立までには、ある経緯がありました。鄭さんの言に耳を傾けましょう。
 ただ、その間、碑を建てるまでには、一年半ほど間があったわけですが、碑を建てるというまでの考えはなかなか持ち合わせなかったというのが、本音のところなのです。こうした慰霊碑等はわれわれ在日の人間よりも日本人側で積極的に具体化させるべきではなかろうかという思いが強かったことがあります。
 しかしながら、先ほど話に出ました墨田区内での民間のボランティアの方々のその活動で2000年から2001年にかけて墨田区議会に陳情をして、碑を建てるために土地の提供ならびに管理の申し入れを正式にしたわけですね。ところが、それが継続審議になり、翌2001年の3月には否決されました。
 否決された具体的な理由、否決した側の立場からいいますと、関東大震災で虐殺されたという具体的な事実は墨田区内にはない。もうひとつはよしんばその事実があって慰霊碑を建てたとしても区民の利益にはなりえないということが理由だったわけですね。区議会、具体的には企画総務委員会というところで審議されていたのですけれども、私は傍聴していまして何とも気持ちのやり場がなかった。この委員は、本当に区民に選ばれた良心を持った方々なのであろうかと、憤懣やるかたないという心情でした。こうした、良識のかけらもない人たちが、墨田区の代表として選ばれた人たちなのであろうかという思いが強くて悶々としていました。そんな時に、知人の韓国の陶芸家金九漢(キムグハン)さん相談しましたところ非常に積極的で、ぜひこれを実現させようじゃないかと言ってくださいました。この方は、60年代の韓国の民主化で都合六年間牢獄に繋がれていた民主化運動の闘士でもあったのですね。そういう意味で、人権の抑圧ですとか、不条理に関しては正義感を人一倍燃やす人でした。(『世界史としての関東大震災』 関東大震災80周年記念行事実行委員会編 日本経済評論社 p.97~8)
 朝鮮人虐殺を忘却あるいは隠蔽しようとする日本人に対する怒りが、この碑に結実したことを銘肝しましょう。虐殺はたしかにあったのだ、そして少ないながらも朝鮮人を救った日本人もいたのだ、という事実を未来へ伝えようとされたのでしょう。
鄭さんと金さんは、犠牲になった人たちの霊を慰め、朝鮮民族の気概を日本や世界に示そうと、朝鮮文化の真髄のひとつ、陶磁器の焼き物で碑を作ることにしました。高さ約1メートル50センチ、重さ約450キログラム。それを韓国国内で製作し、土台の石は韓国全羅南道産の烏石という黒御影としました。そして一番上には民族の気概を表わす白頭山を配して、そこに金剛山もあわせる。それに、朝鮮では10の平和と長生きを象徴する日・月・鶴・松・不老草をあしらい、象嵌手法で仕上げたのが、この「感謝の碑」です。(同書 p.98)

 最後に、鄭さんの言葉をもう一つ引用します。
 最後に、ここ二、三年、少なくとも今年に入りまして、具体的には「創氏改名論」や、朝鮮植民地に対する「合法論」「国際的容認論」などといった発言が現役の閣僚の中から相次いで飛び出す事態は、昨日今日に始まったことではないのですが、歴代政権が誕生するたびにこうした暴言を吐いているということに関して、深い憤りを覚えるわけです。これは私だけでなく、民族全体からしてもとうてい我慢のならない憤激をかうという事態であります。
在日には、在日子弟の教育問題で大学受験の資格を認めない。欧米系の学校に関しては認めるけれども、朝鮮学校の卒業生に関しては認めない、教育の機会均等をうばう、こういう面でも差別をしている。ただ、この問題に関しては、非難轟々、世界から批判をされ撤回をしまして、いまは前進をしているという方向にあります。「私はこのごろ新聞ですとかテレビもつけたくない。テレビをつけると『北』の核だ、ミサイルだ、拉致だという問題が、報道されない日はない」そういうことをおっしゃる方がおりました。
私はいま冷静に判断しても、悪者扱いというこの流れが、偏見差別を助長する動きとして、具体的には「北」にまつわる問題だけではなくて、これがひいては在日朝鮮人に、アジアの民衆にいくのではないだろうか。これはもう韓国・朝鮮を問わず、国籍・所属団体を問わず、その矛先がやがてはどういう方向にいくのだろうかと思います。「草の根の右翼」という言葉もあるそうですけれども、こういう若い層の考えもかなりの広がりを持っているという話を私は聞くたびに、危惧をするわけなのです。昨日の報告の中でもあったのですけれども、世田谷区では自警団を組織したことに関して評価の声が上がったりしている。私がじかに目撃したものでは外国人犯罪に気をつけましょうという、いわゆる外国人排斥思想を煽りたてるであろう東京北区での町内会の各掲示板がありました。中国人の犯罪であるとか韓国人窃盗団であるとか、そういうニュースをエスカレートさせて、その矛先を結局どういう方向にむけていこうとしているのか。
私は80年前のその関東大震災のその異常事態といまの流れと本質的にどれだけの差があるんだろうかということを今も考えたりしているのですけれども、しかしながら時代は大きく変わっていくと思うのですね。逆風の中にあるとは思いますけれども、これは私がいつまでも長く続くとは思っておりません。(同書 p.101~2)

 本日の一枚です。
c0051620_853241.jpg

by sabasaba13 | 2017-03-18 08:53 | 東京 | Comments(0)
<< 虐殺行脚 東京編(9):亀戸梅... 虐殺行脚 東京編(7):八広(... >>