虐殺行脚 東京編(9):亀戸梅屋敷(16.10)

 東向島駅に戻り、東武スカイツリーラインで押上へ、半蔵門線に乗り換えて錦糸町へ、そして総武線に乗り換えて亀戸駅に着きました。めざすは浄心寺にある「亀戸事件犠牲者之碑」です。明治通りを北へ向かって歩いていくと、亀戸梅屋敷という商業施設がありました。
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 ん? てことはなにかいご隠居さん、歌川広重が江戸百(名所江戸百景)の一枚として描いたあの梅屋敷がここかい。説明板がありましたので、後学のために転記します。
 江戸時代、亀戸には呉服商伊勢屋彦右衛門の別荘があり、その庭には見事な梅の木が生えていました。立春の頃になると江戸中から人々がやってきて、この地はたいへん賑わったといいます。特に、「臥竜梅」と呼ばれた一株が名高く、水戸光圀や徳川吉宗も賞賛したそうです。
 また、歌川広重により描かれた浮世絵「亀戸梅屋敷」は、江戸の時代に海を越え、かのゴッホが模写するなど、日本のみならず世界から評価された傑作と言えるでしょう。
 フィンセント・ファン・ゴッホがパリにやってきた1886(明治19)年当時、浮世絵版画がヨーロッパで流行し、かつ安価で手に入ったそうです。(『週刊グレート・アーティスト ゴッホ』 同朋舎出版) その大胆な構図、装飾的色彩、力強い輪郭に魅せられて、熱心に収集した中の一枚、「亀戸梅屋敷」を漢字とともに模写したのですね。日本からもたらされた浮世絵がヨーロッパ美術に大きな影響を与えた、いわゆる「ジャポニズム」という動きがあったことは定説です。たとえば、美術批評家のI・E・シェスノーが、1878年にこうした言葉を残しています。
 その熱狂は、あたかも導火線の上を走る炎のような勢いであらゆるアトリエに拡がっていった。人々は、構図の思いがけなさ、形態の巧妙さ、色彩の豊かさ、絵画的効果の独創性、そしてさらに、そのような成果を得るために用いられている絵画的手段の単純さを嘆賞してやむことがなかった。
 ただその影響を過大視するのは慎んだ方がよいかと思います。画家のJ・ピサロは、1893年の手紙でこう書き記しています。
 日本の展覧会は驚嘆すべきものだった。広重は素晴らしい印象派画家だ…。これら日本の芸術家たちは、私たちの考え方が間違ってはいなかったということを改めて確認させてくれる。
 写真の登場によって、これまでの絵画に対する考え方を再考しなければならなかったヨーロッパの画家たちはさまざまな試行錯誤をはじめており、その動きの大きな触媒となったのが浮世絵だったと思います。素人考えですが。

 それはさておき、「名所江戸百景」は私の大好きな浮世絵連作です。大胆かつ斬新な構図はもとより、江戸という町に対する広重や庶民の愛着がびしびしと伝わってきて羨ましくなってしまいます。江戸ってこんなにも、人々に愛された町だったのですね。中でも一番好きな絵は…うーん…迷うところですが「深川洲崎十万坪」を挙げましょう。なお『謎解き 広重「江戸百」』(原信田実 集英社新書)という好著もあるので、お薦めします。
by sabasaba13 | 2017-03-19 07:53 | 東京 | Comments(0)
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