今年に入ってから、『この世界の片隅に』、『スノーデン』、『沈黙』とたてつづけに素晴らしい映画を見ることができました。今年は映画の当たり年なのかな。ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』と、通信制中学をテーマとした『まなぶ』も近々見に行くつもりです。するとまたもや面白そうな映画が私の貧弱な情報網にかかりました。チェリストのヨーヨー・マが主役となる『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』という映画です。監督は多くの音楽ドキュメンタリーを手がけてきたモーガン・ネヴィル。チェリストの末席を汚す者として、これはぜひ見たいですね。山ノ神を誘ったら快く同行してくれることになりました。
個人的な話ですが、今、月に三回、チェロのプライベート・レッスンに通っています。夢は、J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」を弾くこと。45分のレッスンで、スケールとLEEによる練習曲集「Melodious and progressive Studies vol.2」を先生に教授していただいています。最後は自分の好きな曲ということで、蟷螂の斧、数年前に恐る恐る「無伴奏チェロ組曲」と申し出たところ快諾。やったあ。それ以来、七転八倒、第4番まではとりあえず譜面をなぞることができました。音楽にはまったくなっていないのですけれどね。そして先日、第5番に入ることができました。欣喜雀躍、夢にまで見たプレリュードを猛練習しております。 尊敬するチェリストはパブロ・カザルス、一番好きな曲はもちろん「無伴奏チェロ組曲」です。よって私としては珍しいのですが、この曲のCDは、モーリス・ジャンドロン、ピエール・フルニエ、パブロ・カザルス、パオロ・ベスキ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、そしてヨーヨー・マ(新旧二盤)が演奏した7種類のものを持っております。気に入っているのは剛毅なカザルスと優美なフルニエ、ヨーヨー・マの演奏は…うーん、ちょっちね。アウトバーンを疾走するポルシェのようにかっこいいのですが、あまり個性を感じられずほとんど聴くことはありません。でもこの映画を見れば、わが演奏技術の向上に資するところがきっとあるだろうという下心と、彼の演奏を大画面で楽しみたいという気持ちをもってシネスイッチ銀座に行きました。 銀座か…となると昼食は「煉瓦亭」ですね。まず映画館で指定席券を購入し、すぐ近くにある「煉瓦亭」にはいりました。私はメンチカツレツとご飯を、山ノ神はカキフライと海老のコキールを注文。"私の注文した料理の1.8倍の値段かよ"などと絶対に口には出さず、にこやかに身辺の雑事などを二人で話していると、料理が運ばれてきました。ひさしぶりだなあ、かぷ、さく。クリスピーなころもとしっかりとした歯応えの牛肉、そして滋味あふれる肉汁、ほんとうに美味しい。山ノ神からお裾分けされたカキフライと海老のコキールも申し分なし。至福のひと時でした。 余談ですがメンチカツの美味しい店を紹介しますと、根岸の「香味屋」、日本橋の「たいめいけん」、浅草の「アリゾナ」、東府中の「きくよし食堂」、釧路の「スコット」です。 それでは「シネスイッチ銀座」へと向かいましょう。中に入って映画のチラシを物色すると、『パリを愛した写真家』、『スペシャリスト』、『すべての政府は嘘をつく』、『パリ・オペラ座』、『標的の島』といった面白そうな映画が目白押し。『スペシャリスト』、『すべての政府は嘘をつく』、『標的の島』は絶対に見にいくつもりです。場内に入ると空席が目立ちましたが、こういう映画は人気がないようですね。そして予告編、「ユナイテッドシネマとしまえん」と違い、『クーリンチェ少年殺人事件』、『ぼくと魔法の言葉たち』、『マイ ビューティフル ガーデン』、『ミツバチのささやき』、『海は燃えている』といった、食指の動く志の高い映画ばかりでした。 そしてはじまりはじまり。公式サイトから、ストーリーを転記します。 世界的チェロ奏者であるヨーヨー・マが、2000年に【音の文化遺産】を世界に発信するために立ち上げた"シルクロード・アンサンブル"。異文化がクロスするシルクロードにゆかりがあり、さまざまな歴史的、文化的、政治的背景を背負ったメンバーたちとともに、ヨーヨー・マは自分自身のアイデンティティを確立していく。冒頭のシーンからいきなり引き込まれてしまいました。イスタンブールの波止場でしょうか、ヨーヨー・マを中心に、さまざまな民族楽器をもった音楽家たちがライブ演奏をおこなっています。小躍りするようなリズムとテンポ、魅惑的なメロディ、見事なアンサンブル、そして何よりもその歓喜に満ち溢れた表情と仕草。仲間と共に音楽を奏でる喜びが、びしびしと伝わってきます。 なぜ彼はこのプロジェクトを立ち上げたのか、貴重な幼少期の映像などを交えながら淡々と語ります。中国人の両親とともにパリからニューヨークに移り、4歳でチェロを始め、9歳でジュリアード音楽院へ進学。天稟めざましく、気がつけば若きヴィトルオーソとして世の喝采を浴びていました。しかし成長した彼は悩みます。何のためにチェロを弾いているのか、自分にとって音楽とは何なのか、と。それに対するひとつの答えがこのシルクロード・アンサンブルだったのですね。プログラムに載っていたヨーヨー・マの言葉を引用します。 何年にも渡り、シルクロード・アンサンブルは進化し続け、文化的結合、歴史、伝統を探求し続ける音楽家やアーティストたちの組織へと発展した。また、異なる幅広いバックグラウンドを持つ者は、お互いの共通点を見出していった。今、我々がやるべきことがあるとすれば、まさに、これじゃないかと思う。現在、世界中の多くの権力者たちが、恐怖を煽ろうとしているからね。メンバー全員がそれぞれの楽器の偉大なる名手である。だけど、その人の性質のほんの一部に過ぎない。彼らの表現方法は、思いやるという1つの行為なんだ。シルクロード・アンサンブルは創造性に溢れ、それぞれの分野に長けている人たちの集まりだ。しかしそれ以上に、彼らは人とのコラボレーションを誰よりも愛し、それに長けている。誰もが何かしらに精通しているが、長けている分野がそれぞれ違うので、自分の知識を他者と共有したいと思っている。個人レベルでそれぞれが進化していく過程を見ることができたのは素晴らしいことだったが、芸術的なレベルでの進化も見ることができた。さらに、それがどのようにコミュニティーや文化や伝統に影響していくのかも知ることができた。違いを乗り越えながら関わり合い、信頼を築いていくことを学んだよ。さまざまな伝統文化をもつ音楽家と共演し、その違いを認めたうえでお互いの共通点を見出す。そして音楽という芸術を通して、多様な文化をひとつにし、より美しいものを紡ぎだす。異文化や異民族に対する偏見や恐怖や蔑視を払拭して、世界を少しでも良い方向へ変えていく。ヨーヨー・マが考えたのは、そういうことだと思います。 彼のもとにさまざまな音楽家が集まりますが、映画では次の四人にスポットライトが当てられます。 ケイハン・カルホール。イラン出身で、ケマンチェという、膝に立てて弓弾きする弦楽器の演奏者です。1979年の革命に際してイランを離れ、リュックと楽器を抱えてヨーロッパ各地を放浪、そしてようやくアメリカで演奏活動ができるようになりました。しかし祖国の若者に伝統音楽を教えたいと強く願い帰国しますが、政府より国外退去を命じられました。 ウー・マンは、中国出身の琵琶(ピパ)奏者。彼女は神童とうたわれましたが、文化大革命を経験後、アメリカのオーケストラに憧れて渡米。アメリカで成功を収めますが、中国に戻った際に伝統音楽が凄まじい速さで消えていくのを目の当たりにし、今では民族音楽の復活に努力しています。 キナン・アズメはシリア出身のクラリネット奏者・作曲家ですが、内戦の勃発で国外追放を余儀なくされました。凄惨なシリア情勢のなか、彼は「音楽にいったい何の意味があるのか」と自問し苦悩します。しかし「人々には音楽が必要だ」と思い直し、ヨルダンの難民キャンプに行き、子どもたちのためのワークショップを開きます。 クリスティーナ・パトはスペイン北西部のガリシア地方出身のバグパイプ(ガイタ)奏者です。この地方はケルト系民族が暮らし、独自の音楽文化をもっています。しかし彼女はそうした伝統に反逆し、ロック・バンドと共演するなど奔放な演奏活動を行ないました。人呼んで"ガイタのジミヘン"。しかし今ではアイデンティティを生かし続けることの重要性に気づき、伝統音楽の擁護者となっています。 故郷から拒絶された者、故郷を棄てた者、故郷を破壊された者、そして故郷に反逆した者。故郷との関わり方はさまざまですが、紆余曲折を経て伝統音楽のなかに自分のアイデンティティを見出した方たちです。最近読んだ『言葉と戦車を見すえて』(ちくま学芸文庫)の中で、故加藤周一氏がこう述べられていました。 自国の伝統的文化に対する無関心は、そのまま歴史的感覚の鈍さに通ぜざるをえない。ところが、その名に価するあらゆる文化は、深く歴史的なものである。(p.149)そしてヨーヨー・マのもとに集い、互いの文化の違いを認め合ったうえで、より素晴らしい音楽を紡ぎだそうとする彼ら/彼女らの姿に感銘を覚えました。 多様な文化を、多様な人びとを、音楽という普遍的な力で一つにしようとするシルクロード・アンサンブル。その素晴らしい演奏を心ゆくまで楽しんでください。 とくに印象に強く残ったシーンが二つあります。まずはシリア内戦と難民キャンプの映像です。空爆のなかを逃げまどう人びと、傷つき殺される女性・老人・子どもたち。想像を絶するほど劣悪な環境の難民キャンプ。そして言葉をつまらせ涙を浮かべながら、思いを語るキナン・アズメ。この圧倒的な暴力と殺戮を前にして、彼ならずとも音楽の無力さを思い知らされます。しかし、誰かが"音楽は何も変えることは出来ない。しかし、音楽は何度でも人の心を救うだろう"と言っていました。音楽に励まされながら、世界で何が起きているのか、その原因は何なのか、知り、考えていきたいと思います。 もう一つは、ウー・マンが西安で出会ったチャン・ファミリー・バンドです。影絵人形劇団なのですが、その伴奏音楽が凄い、凄すぎる。「ロックは中国から始まった」と豪語する彼らですが、掛け値はありません。シャウトする歌声、力強いリズム、ダイナミックな大音量、まさしくロックです。残念なことに後継者がいないとのこと。ウー・マンの尽力によってニューヨークで演奏を披露したそうなので、それをきっかけに後を継ぐ人が現れるといいですね。来日してくれた、絶対に聴きにいきます。 追記。今読んでいる『現代日本小史 上巻』(みすず・ぶっくす)の中で、矢内原忠雄がこう書いておられました。さすが、わかっていらっしゃる。 世界の文化は諸民族文化の特徴ある差異あることによって、豊富にせられるのである。(p.9)
by sabasaba13
| 2017-03-26 06:35
| 映画
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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