焼津編(8):焼津(17.3)

 浜通りは、堀川にかかる新川橋のところで終わりますが、ここには「小泉八雲風詠之碑」がありました。朽ち果てた姿で屹立する商店街のゲートに、哀感をもよおします。
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 橋のたもとにあった「松永帆屋」を撮影して二十分ほどペダルをこぐと、焼津文化センターに到着です。まずは「焼津小泉八雲記念館」を見学しましょう。
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 こちらでは、煙管・望遠鏡・コップなど八雲の遺品や、セツ夫人に宛てたカタカナ書きの書簡や作品の原稿などが展示されていました。また彼を紹介する映像を二本見ましたが、なかなか要領よくまとめてあって一見の価値はあります。
 そして隣にある焼津市歴史民俗資料館へ行き、「第五福竜丸コーナー」をじっくりと見学しました。
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 第五福竜丸事件について、スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
 1954年(昭和29)3月1日、南太平洋ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、同環礁東方160キロの海上で操業中の日本のマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」を浴びた事件。同船は3月14日静岡県焼津に帰港したが、乗組員23名が「急性放射能症」と診断され、東大病院と国立第一病院に入院、治療を受けた(9月23日には無線長久保山愛吉が死亡)。同船が積んできたマグロからは強い放射能が検出され、5月には日本各地に放射能雨が降り始めた。この事件は国民に強い衝撃を与え、核兵器禁止の世論が急速に盛り上がり、翌55年8月、広島での第1回原水爆禁止世界大会開催へとつながっていく。
 実は、この事件の背後には、アメリカ政府および日本政府の、非人間的かつ悪魔的かつ犯罪的な数々の行為が隠れされています。よろしければ、『放射能を浴びたX年後』の映画評と、『核の海の証言』の書評をご覧ください。
by sabasaba13 | 2017-04-14 06:29 | 中部 | Comments(0)
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