焼津編(10):伊東(17.3)

 それでは伊東へと参りましょう。焼津市観光協会に自転車を返却して、焼津駅から東海道本線に乗って熱海駅へ。伊東線の列車が発車するまですこし時間があるので、コンビニエンス・ストアで珈琲を買って駅前で飲んでいると、小さな機関車が野外展示されていました。
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 後学のために解説文を転記します。
熱海軽便鉄道7機関車
 この機関車は明治40年から大正12年まで、熱海=小田原間の25キロメートルを2時間40分かかって走っていたものです。
 この鉄道は関東大震災により廃止されましたが、その後、各地の鉄道建設工事に活躍したのち神戸市の国鉄鷹取工場内に標本車として展示されていたものを熱海市が払い下げをうけ修復して、ゆかり深い故郷へ貴重な交通記念物としてかえってきたものです。
 なお芥川龍之介の小説「トロッコ」に、人車鉄道から軽便鉄道への転換のための道路改修工事の風景が描かれています。そして湯河原を通過するのですから、幸徳秋水が乗った客車を牽引していたかもしれません。1910(明治43)年、湯河原温泉の天野屋旅館に逗留して『基督抹殺論』を執筆していた秋水は、6月1日、東京の検事に拘引されました。大逆事件については何度か触れてきましたので、よろしければご一読ください。

 そして伊東線に乗って伊東駅に到着。以前に触れましたように、猪戸町のあたりが赤線跡でその名残りの物件がかなり残っているとのことです。駅前の観光案内所で地図をもらい、そうした建物がどのあたりにあるかとお訊ねしたところ、心当たりはないとのことでした。致し方ない、地図を頼りに彷徨しましょう。結論から言えば、取り壊しが進んだためか、はたまた私の目が節穴なのか、往時を彷彿とさせる物件はそれほどありませんでした。一つ目は、朽ち果てた鉄製のゲート。二つ目はタイルの貼ってある円柱。これは「一目でわかるよう、赤線の建物は壁や柱にタイルを張れ」という警察からのお達しがあったためだそうです。三つ目は、千鳥破風が取り付けられている三階建てのユニークな建物。ふらふら徘徊していると、夕空を物憂く見上げるに出会えました。

 それでは引き上げることにしましょう。伊東線で熱海駅に戻り、湯河原で途中下車。駅前にある「さかなや道場」で、ご当地B級グルメの担々焼きそばと、しめ鯖をいただいて帰郷しました。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2017-04-16 06:26 | 中部 | Comments(0)
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