言葉の花綵158

 教師は人格者でなくてはならない。けれども人格者というものが、常に無抵抗でなくてはならないという理屈はない。教師は、人格者であるが故に、その全人格をもって、不法なるものと闘わなくてはならない。(石川達三 『人間の壁』)

 反戦ゼッケンの運動を始めて以来、おおぜいの方からさまざまな意見がよせられています。過激だ、という人もいます。でも、こんにち一万数千キロの海をわたり、他国に五十万の軍隊を送り、あまつさえ連日何百回以上の爆撃をして、病人、老人、婦人、子供を見さかいなく殺している集団が現存しているのです。この集団ほど過激なものはありません。(金子徳好)

 満足した豚であるよりは満足しない人間である方がいい、満足したばか者であるよりは、満足しないソクラテースであるほうがいい。(J・S・ミル)

 われわれの場合、第一の不可欠な要求はわれわれの尊厳ということであります。ところで、自由のないところに尊厳はありません。なぜなら、ひとに隷属すること、束縛を強制されてそれに服することは、束縛される当人の品位をおとし、人間という資格の一部をうばい、ほしいままにその人をいちだん劣ったものにしてしまうからです。われわれは隷属の中の富裕よりも、自由の中の貧困をえらびます。(セク・トゥーレ 『アフリカの未来像』)

 大量生産=大量消費の出現や、資源の浪費は、別の文明の原理がもたらした結果だ。その文明によって現在の地球破壊が起こったのなら、それに対する新しいあるべき文明社会の原理は、われわれの祖先が作り上げたこの文化-清貧の思想-の中から生まれるだろう、という思いさえわたしにはあった。(中野孝次)

 理想を持たないためにほろびた民族はある。理想を持ったためにほろびた民族はない。(むのたけじ)

 戦争というのはいつでも、なかなかきそうな気はしないんですよね。人間は心情的には常に平和的なんだから。しかし国家は心情で動いているのではない。戦争が起きた時にはもう間に合わないわけだ。強行採決につぐ強行採決、…今の政府のやり方を見ていると、いうどういうことが行われるかわからない。権力はいつも忍び足でやってくるのです。(大岡昇平)

 人間の歴史は 虐げられた者の勝利を 忍耐づよく待っている。(タゴール)

 もし母が死んでいたら、私も、私の子どもも生まれていなかった。当然だ。でも、この当然のことを壊すのが戦争だ。生きたい人の命をうばうのが、戦争だ。(石川文洋)

 一人を殺せば、これを不義となし、必ず一死罪にあたる。…百人を殺すと不義は百倍となり、必ず百死罪にあたる。これらのことは、天下の君子がみな知ってこれを非となし、これを不義とする。いま大いに不義をなして他国を攻めるにいたっては、非となすことを知らず、そのうえこれを誉め、これを義とする。ほんとうにそれが不義であることを知らないのである。(墨子)
by sabasaba13 | 2017-05-02 06:28 | 言葉の花綵 | Comments(0)
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