『戦争は女の顔をしていない』

 『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ 岩波現代文庫)読了。
 前回の書評で紹介したスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの主著です。裏表紙に記されていた紹介文を引用します。
 ソ連では第二次世界大戦で百万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった…。五百人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞作家の主著。
 愛する人びとと故郷を守るための女性たちの奮闘、しかし白眼視される口惜しさ、ドイツ軍の残虐な行為、ユダヤ人への差別と虐殺、過酷な戦場の中でも人間らしく振る舞おうとする崇高さ、女性の眼から見た戦争の諸実相が圧巻の思いとともに語られます。いや、贅言はやめましょう。ぜひ彼女たちの言葉に耳を傾けてください。
マリヤ・セミョーノヴナ・カリベルダ 上級軍曹(通信係)
 1943年の6月、クールスクの激戦で、私たちは連隊の旗を授けられました。私たちの第65軍125通信連隊は八割が女性だった。想像できるように話してあげたいわ…。分かってもらえるように…。私たちの心の中で何が起きたのか、あの頃の私たちのような人たちはもう二度と出てこないわ、決して。あれほど純真で、一生懸命な人たちは。あれほど深く信じ込んでいる人たちは。連隊長が連隊の旗を受け取って、「連隊、旗に跪いて敬礼!」と号令をかけたとき、私たちは幸福だった。信頼されたということで。私たちはこれで他の連隊、歩兵連隊とか戦車連隊と対等の一人前の連隊になったんだわ。突っ立って、泣いていた。みな涙を浮かべていた。信じられないかもしれないけれど、私はこの感動で全身が緊張したあまりに、栄養失調や神経の使い過ぎからなった鳥目が直ってしまったの。すごいでしょ? 翌日には健康になっていた。それほど心からの感動だった…。(p.78)

アリヴィナ・アレクサンドロヴナ・ガンチムロワ 上級軍曹(斥候)
 そして有名なスターリンの命令227号があったんです。「一歩もひいてはならない!」 後退したら銃殺だ! その場で銃殺。でなければ軍事法廷か特設の懲罰大隊に入れられる。そこに入れられた人は死刑囚と呼ばれていた。包囲から脱出した者や捕虜で脱走したものは選別収容所行き。私たちの後は阻止分遣隊で退路が断たれていたんです。味方が味方を撃ち殺す… (p.85)

アンナ・ヨーシフォヴナ パルチザン
 でも…そう言われたの。町はドイツ軍に占領されたって。あたしは自分がユダヤ人だということを知ったの。戦前はみな一緒に仲良く住んでいたのよ。ロシア人もタタール人もドイツ人もユダヤ人も、みな同じに。そうなのよ、あなた。(p.101)

 町中に貼り紙があった。「ユダヤ人には次のことを禁ずる-歩道を歩くこと、美容院へ行くこと。店で何かを買うこと、笑うこと、泣くこと」 そうなんですよ、あなた。(p.101)

ワレンチーナ・パープロヴナ・チュダーエワ 軍曹(高射砲指揮官)
 男たちは戦争に勝ち、英雄になり、理想の花婿になった。でも女たちに向けられる眼は全く違っていた。私たちの勝利は取り上げられてしまったの。〈普通の女性の幸せ〉とかいうものにこっそりすり替えられてしまった。男たちは勝利を分かち合ってくれなかった。悔しかった。理解できなかった。(p.182~3)

 みんなが好いてくれた。先生方も学生たちも。なぜって、私の中にみんなを好きになりたいって気持ちが、喜びがたまっていたからね。生きているってそういうことだと思ったんだよ、戦争のあとはそれ以外ないと思ってた。神様が人間を作ったのは人間が銃を撃つためじゃない、愛するためよ。どう思う? (p.185)

 思い出すのは恐ろしいことだけど、思い出さないってことほど恐ろしいことはないからね。(p.187)

第5257野戦病院メンバーの女性たち
 その時も思いました、生き物の見ている前で何という恐ろしいことをしたんだろう、馬は全て見ていたのよ… (p.206)

 私の病室には負傷者が二人いた。ドイツ兵と味方のやけどした戦車兵が。そばに行って、「気分はどうですか?」と訊くと、「俺はいいが、こいつはだめだ」と戦車兵が答えます。「でも、ファシストよ」「いや、自分は大丈夫だ。こいつを…」
 あの人たちは敵同士じゃないんです。ただ怪我をした二人の人が横たわっていただけ。二人の間には何か人間的なものが芽生えていきました。こういうことがたちまち起きるのを何度も眼にしました。(p.207)

オリガ・ヤーコヴレヴナ・オメリチェンコ 歩兵中隊(衛生指導員)
 戦争で人間は心が老いていきます。(p.222)

 道はただ一つ。人間を愛すること。愛をもって理解しようとすること。(p.224)

タマーラ・ルキヤーノヴナ・トロプ 二等兵(土木工事担当)
 私にとって橋は戦略上の施設ではなく、生き物のようでした-私は泣いていました…移動のときに破壊された橋を何百と見ました。大きいのも小さいのも、戦争では橋が真っ先に壊されます。がれきの山となっているところを通り過ぎるとき、いつも思ったのです。これをまた新たに建造するのにどれだけの年月がかかるだろう、と。戦争は人が持っている時間を潰してしまいます、貴重な時間を。(p.267)

 あの人たちが信じたのはスターリンでもレーニンでもなく、共産主義という思想です。人間の顔をした社会主義、と後によばれるようになった、そういう思想を。すべてのものにとっての幸せを。一人一人の幸せを。夢見る人だ、理想主義者だ、と言うならそのとおり、でも目が見えていなかった、なんて決してそんなんじゃありません。賛成できません、どんなことがあったって。戦争の半ばになってわが国にも素晴らしい戦車や飛行機、性能のいい兵器がでてきました。でも、信じるという力を持っていなかったら、強力で規律があって全ヨーロッパを征服してしまったヒットラー軍のような恐ろしい敵を私たちは決して打ち負かすことができなかったでしょう。その背骨をへし折ってやることは。私たちの最大の武器は「信じていた」ということです。恐怖にかられてやったわけじゃありません。(p.267~8)

アナスタシア・イワーノヴナ・メドヴェドゥキナ 二等兵(機関銃射手)
 一つだけ分かっているのは、戦争で人間はものすごく怖いものに、理解できないものになるってこと。それをどうやって理解するっていうの? (p.311)

オリガ・ニキーチチュナ・ザベーリナ 軍医(外科)
 戦争の映画を見ても嘘だし、本を読んでも本当のことじゃない。違う…違うものになってしまう。自分で話し始めても、やはり、事実ほど恐ろしくないし、あれほど美しくない。戦時中どんなに美しい朝があったかご存知? 戦闘が始まる前…これが見納めかもしれないと思った朝。大地がそれは美しいの、空気も…太陽も… (p.312~3)

リュボーフィ・エドゥアルドヴナ・クレソワ 地下活動家
 ゲットーでは私たちは鉄条網に囲まれた中に住んでた…あれは火曜日だったことまで憶えています。それが火曜日だということがなぜか気にとまった…何月だったか何日だったかも憶えていませんが…でも火曜日だった…たまたま窓に近づくと…私たちがいた建物の向かいのベンチで、少年と少女がキスをしているんです。私は胸をつかれる思いでした。ユダヤ人を対象にした焼き討ち(ポグロム)や銃殺のまっただなかで。この二人はキスをしあっている…胸がいっぱいになりました。この平和な光景に。
 通りの向こう、短い道でしたがその端に、ドイツのパトロールが姿を現しました。奴らもこっちに気づきました、とてもめざといんです。何がなんだか分かる間もありませんでした…もちろん、一瞬のことでしたから…悲鳴、轟音、銃声…私は何も考えられませんでした…何も…最初の感覚は恐怖です。私が見たのはただ少年と少女が一瞬立ち上ったとたんに倒れたこと。倒れるのも一緒でした。
 それから…一日たち、二日たって…三日が過ぎました…私の中で一つの考えがぐるぐる回っていました。理解したかったんです。家の中でじゃなくて、外でキスをしていた。どうして? そういうふうに死にたかったということ…もちろん…どうせゲットーで死ぬんだから、ゲットーでの死ではなく、自分たちらしく死にたかったんでしょう。もちろん、恋です。他ならぬ恋。ほかに何があります? 恋しかありません。
 ほんとうに美しかった。でも現実はね…現実はすさまじいものだった…いま思うんです。あの子たちは戦っていた…美しく死にたかったんです。あれは、あの子たちが選んだこと。まちがいありません。(p.313~4)

ヴェーラ・ヴラジーミロヴナ・シェワルディシェワ 上級中尉(外科医)
 毎日見ていたけれど…受け入れることができなかった…若くて、ハンサムな男が死んでいく…せめてキスしてあげたい、医者として何もできないのなら、せめて女性としてなにかを。にっこりするとか。なでてあげるとか、手を握ってあげるとか…
 戦後何年もして、ある男の人に「あなたの若々しい微笑みを憶えていますよ」と告白されたことがあります。私にとってその人は何人もいる負傷者の一人にすぎず、憶えてもいませんでした。でも、その人は私の笑顔が彼を再び生きる気にさせたと言いました。あの世から引き戻したのだ、と。女の笑顔が… (p.346~7)

 もし戦争で恋に落ちなかったら、私は生き延びられなかったでしょう。恋の気持ちが救ってくれていました、私を救ってくれたのは恋です… (p.347)

ワレンチーナ・ミハイロヴナ・イリケーヴィチ パルチザン(連絡係)
 奴らは銃を発射し、しかも楽しんでいた…最後に乳飲み子の男の子が残って、ファシストは「空中に放りあげろ、そしたらしとめてやるから」と身ぶりでうながした。女の人は赤ちゃんを自分の手で地面に投げつけて殺した…自分の子供を…ファシストが撃ち殺す前に。その人は生きていたくないと言いました。そんなことがあったあと、この世で生きていることなんかできない、あの世でしか…生きていたくない…
 私は殺したくなかった。誰かを殺すために生まれて来たのではありません。私は先生になりたかったんです。村が焼かれるのを見たことがあります。叫ぶこともできなかった。大声で泣くことも。私たちは任務に出て、その村にさしかかった。じっと息を殺して手を血が出るほど、肉がちぎれるほどきつくかんでいるしかできなかった。今でもその傷が残っています。人々が泣き叫ぶ声、牛、鶏、何もかもが人間の言葉を叫んでいるように聞こえました。生きとし生けるものがみな、焼かれながら、泣き叫んでいる…
 これは私が話しているんじゃありません。私の悲しみが語っているんです。(p.380~1)

アグラーヤ・ボリーソヴナ・ネスチェルク 軍曹(通信係)
 ドイツの家でははやはり弾丸で打ち砕かれたコーヒーセットを見たことがあります。花が植わっている鉢とか、クッションとか…乳母車とか…でもやはり奴らが私たちにやったのと同じことはできませんでした。私たちが苦しんだように、奴らを苦しませることは。
 奴らの憎しみがどうして生まれたのか、理解に苦しみました? 私たちが憎むのは分かるけど、奴らはなぜ? (p.451)

タマーラ・ステパノヴナ・ウムニャギナ 赤軍伍長(衛生指導員)
 戦場に行ったことのない人にこんなこと分かるかね? どうやって話したらいいのか、どんな言葉を使って? どんな顔をして? 言ってご覧よ、どんな顔してこういうことを思い出しゃいいのか? 話せる人もいるけど、私はできないよ…泣けてきちゃうよ。でもこれは残るようにしなけりゃいけないよ、いけない。伝えなければ。世界のどこかにあたしたちの悲鳴が残されなければ。あたしたちの泣き叫ぶ声が。(p.480)

 だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵みさ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから… (p.480~1)

 戦争中どんなことに憧れていたか分かるかい? あたしたち、夢見ていた、「戦争が終わるまで生き延びられたら、戦争のあとの人々はどんなに幸せな人たちだろう! どんなにすばらしい生活が始まるんだろう。こんなにつらい思いをした人たちはお互いをいたわりある。それはもう違う人になるんだね」ってね。そのことを疑わなかった。これっぽちも。
 ところが、どうよ…え? またまた、殺し合っている。一番理解できないことよ…いったいこれはどういうことなんだろう? え? 私たちってのは… (p.481)
 中でも、もっとも心に残った、おそらく生きている限り私の心に刻まれたエピソードと言葉を二つ紹介します。
 まずはナターリヤ・イワノーヴナ・セルゲーエワ二等兵(衛生係)の言葉です。厳寒の中、涙が凍りついたドイツ軍の少年兵士が、彼女が押すパンの入った手押し車を見つめています。いくら憎んでもあきたらないドイツ兵、しかし彼女はパンを半分に割って彼にあげます。
 私は嬉しかった… 憎むことができないということが嬉しかった。自分でも驚いたわ… (p.129)
 あまりに苛酷で辛い体験に口ごもる女性たちに対して、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチは…
 私は、そういう人たちに頼む、話してください…黙っていてはだめ。悪魔には鏡を突きつけてやらなければ。「姿が見えなければ、痕跡は残らない」なんて悪魔に思わせないために。その人たちを説得する…先に進んでいくために、自分自身も説得しなければならない。(p372)
 "悪魔に鏡を突きつける"、この言葉は絶対に忘れません。
by sabasaba13 | 2017-05-06 06:29 | | Comments(0)
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