若草山山焼き編(4):奈良女子大学(15.1)

 お礼を言って構内に入ると、すぐ左手に最大のお目当て物件がありました。そう、奉安殿です。ペディメントが印象的な神殿風の建物でした。解説があったので転記します。
 この建物は、1934(昭和9)年に奈良女子高等師範学校創立25周年を記念して、本学同窓会(佐保会)から寄贈された「奉安殿」である(「奉安庫」又は「奉安所」とも呼ばれる)。
 「奉安殿」は第二次世界大戦中まで、全国の学校に下付された天皇・皇后の写真(御真影)や教育勅語を納めていた建物である。戦後、民主化が進む中で、学校から御真影が撤去されたことに伴って、ほとんどの「奉安殿」が解体され、今では、ごく少数が残るのみである。
 本学に残るこの「奉安殿」には、「戦後、本学の生物学教員が、日本を占領していたGHQ(連合国軍再考司令部)と交渉し、遺伝の研究用にショウジョウバエの飼育室として使う許可を得たため、破壊を免れた」という逸話が伝えられており、時代の変遷を物語る貴重な歴史の証人である。
 なるほど、奉安殿に歴史あり、ですね。その教員が奉安殿を破壊から守った理由は、天皇への敬慕からか、あるいは歴史的な資料としての必要性を痛感したからなのかは判りませんが、何はともあれ"貴重な歴史の証人"として残されたのは僥倖でした。子どもや若者を、何も考えさせず、権威への盲従を体に叩き込めば、どんな国家ができて何をしでかすかを教えてくれる証人です。
 奈良女子大学記念館は、奈良女子高等師範学校の本館として1909(明治42)年に建てられたもので、重要文化財に指定されています。ハーフティンバー様式の瀟洒な洋館ですね。佐保会館は、同窓会会館で竣工は1928(昭和3)年。近代木造建築の規範として登録有形文化財となっています。グラウンドのはしに石仏がまとめられていましたが、数輪の花と紙コップに入れた水が供えられていました。こういう心遣いはすてきです。自転車置き場には空気入れ機が設置されていましたが、こういう配慮もいいですね。
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 さてそろそろお暇しましょう。気がつけば守衛所の建物もなかなか洒落た物件でした。守衛さんに低調にお礼を言って外へ出ました。
 ちなみにここは、江戸時代に大和一円を統治した奈良奉行所があったところで、わが敬愛する川路聖謨が奈良奉行として勤めていたそうです。ふと見ると、道の彼方に若草山をバックに東大寺大仏殿の巨大な甍が浮び上っています。絵になりますね、山焼きの炎に浮かび上がる大仏殿のシルエットは素晴らしいでしょう。視界は開けていないのですが、このあたりから眺めるのも一興かもしれません。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-11 06:29 | 近畿 | Comments(0)
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