若草山山焼き編(7):夕日地蔵(15.1)

 近くに、ほっこりと微笑む石仏がありましたが、これが夕日地蔵です。秋艸道人・会津八一の歌を記した立て札が傍らにありました。
 ならざかの いしのほとけの おとがひに こさめながるる はるはきにけり
 漢字で表記すると、「奈良坂の石の仏の頤に小雨流るる春は来にけり」でしょうか、優しさに満ちた心あたたまる歌ですね。家に帰ったあと、『自註鹿鳴集』(岩波文庫)で確認したら、下記のような自註がありました。
 ならざか 昔は平城京大内裏の北方を山城国へ抜ける道を「ならざか」と呼びしが、今はこれを「歌姫越」(ウタヒメゴエ)といひ、もとの般若寺越の坂を「ならざか」といふこととなれり。
 いしのほとけ 奈良坂の上り口の右側の路傍に俗に「夕日地蔵」と名づけて七八尺の石像あり。永正六年(1509)四月の銘あり。その表情笑ふが如く、また泣くが如し。またこの像を「夕日地蔵」といふは、東南に当れる滝坂に「朝日観音」といふものあるに遥かに相対するが如し。(p.37)
 以前にも書きましたが、会津八一の歌に出会うと、大学時代、新潮文庫の『会津八一歌集』と『大和古寺風物誌』(亀井勝一郎)を鞄に入れて友人と二人で奈良の古寺めぐりをした思い出がいつもよみがえります。大垣止まりの普通(急行?)列車(今でもあるのでしょうか)に自転車を分解・携行して(いわゆる「輪行」)乗り込み、普通列車を乗り継いで奈良に到着。宿は高畑にある奈良教育大学の学生寮。帰省している学生の部屋を、一泊200円で使わしてくれましたっけ。朝食は抜き、昼食は食パンのみ、夕食はご飯と缶詰(サバの水煮かカツオのフレーク)。キャンピング・ガスバーナーと飯盒を持参したので、奈良町で米を買い、部屋の中で(!)ご飯を炊きましたね。とにかく一円でも経費を抑え、一箇所でも多くの古寺・古墳を訪ねようとした旅でした。たしか期間は一週間、もちろん一回も風呂に入らず、ひたすらペダルをこいで奈良の主な見どころはすべて踏破しました。今、山ノ神に提案したら、即座に三行半を叩きつけられそうな汚い/貧しい旅ですが、懐かしい思い出です。F君、元気ですか。今にして思えば、いかに費用を安くできたかを誇る「貧しさの美学」が往時の学生には横溢していたような気がします。学生にとっては、自家用車や海外旅行なんて見果てぬ夢の時代でした。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-14 08:20 | 近畿 | Comments(0)
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