若草山山焼き編(8):奈良少年刑務所(15.1)

 閑話休題。それでは奈良少年刑務所へと参りましょう。お好み焼・焼きそばの「三角屋」では、骨董を買い受けるそうです。さすがは奈良、マンホールの蓋には鹿が描かれていました。
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 そして奈良少年刑務所の正門に到着。噂には聞いていましたが、魂消た物件です。円筒を両側に侍られせた、まるでお伽噺に出てくる古城のような煉瓦造りの建築です。いやはや、「どこが刑務所じゃ、責任者を呼んでこい」と一喝したくなるような愛らしさ。いったい、誰が、どうしてこのような刑務所をつくったのでしょうか?
 はい、実はわかっています。『建築探偵 東奔西走』(朝日新聞社)から、藤森照信氏の論考を私の文責でまとめてみます。竣工は1908(明治41)年、設計は山下啓次郎。驚き桃の木山椒の木ブリキに狸に蓄音機、ジャズ・ピアニスト山下洋輔氏の祖父にあたる方なのですね、これが。それではなぜこれほどモダンな刑務所を、政府はつくったのか。不平等条約の改正を宿願とする明治政府は、欧米諸国が改正に応じない理由の一つとして、監獄の不備があることを知りました。そこで、全国から五つの刑務所を選んで重点的に整備することにしましたが、その全てを担当したのが山下啓次郎です。警視庁に勤める父・房親が、大学で建築を学んだ息子にその仕事を任せたようです。ちなみにその筋では、奈良・千葉・長崎・鹿児島(現存せず)・金沢(現存せず)を五大監獄と言うそうです。入所は遠慮しますが、千葉と長崎刑務所の外観だけでも見てみたいものです。なお散歩の変人による刑務所探訪として、ダブリンのキルメイナム刑務所と、網走監獄の掌編がありますので、よろしければご一読を。

 追記です。2017年3月31日、老朽化のため、ここは刑務所としての運用を停止し閉鎖されました。今後はホテルや博物館など観光資源として活用される見通しだそうです。ぜひ第二の人生を送っていただきたいものです。

 近くにあった植村牧場は、創業1884(明治17)年、明治時代からの牛舎を今も使用されているそうです。その前にあるのがコスモスで有名な般若寺です。
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 それでは奈良ホテルへと向かいましょう。東七坊大路をてくてくと南へ歩いていくと、煉瓦造りや起(むく)り屋根の古い町屋が点在しています。
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 東大寺の転害(てがい)門は、1180(治承4)年の平重衡の兵火、1567(永禄10)年の松永久秀の兵火にも焼け残った貴重な建物で、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構だそうです。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-15 08:14 | 近畿 | Comments(0)
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