いいなあ

 フランス大統領選挙で、極右候補が敗れました。

 いいなあ。

 大韓民国では、政権交代が起こりました。

 いいなあ。

 日本では、極右の首相と極右の政党が、政権を握り続けています。

 やれやれ。

 ちょっと本を読んで、ちょっとニュースを見て、ちょっと考えれば、この御仁と政党の正体なぞ簡単に見破れると思うのですが。詳細については『街場の憂国論』(内田樹 晶文社)と『安倍改憲政権の正体』(斎藤貴男 岩波ブックレット871)の書評を読んでいただくとして、要するに、アメリカの属国としての地位に甘んじながら、弱者・貧者を犠牲にして、大企業・政治家・官僚の利益を最大化するということだと思います
 それなのに、相当数の人々が安倍政権を支持するのは何故なのか? わかりません。こういう時には歴史から学ぶのが常道です。最近読み終えた『ヒトラー』(イアン・カーショー 白水社)は、なぜドイツの人々がアドルフ・ヒトラーを支持したのかを鋭く分析した好著ですが、安倍政権を支持する現今の日本人との共通点がほのかに見えてきます。例えば…
 世紀転換期のドイツ・ナショナリズムの自己主張を支えていたのは、少なからず、恐怖心からくる攻撃性だった。すなわち、フランスに対する伝統的な敵意、イギリスに対して高じつつあった敵愾心、東方スラブに対する潜在的な恐れである。同時に、国内的には、社会民主主義の脅威、国民国家ドイツの堕落と没落に対する文化悲観論的な憂慮もそうした攻撃性を生んでいた。
 国民にとって脅威となると目される内外の敵を不条理なまでに恐れる雰囲気のなかにあっては、過激な反マルクス主義に加えて、人種主義イデオロギーが広まったのも驚くにあたらない。(上p.105)

 しかしドイツでは、ポピュリストの急進右翼が標榜する人種思想を保守派が中心になって支え、個々のマイノリティにとって相当な脅威になるほどにまで支持が広がった。個人に対する国家の優越、秩序と権威の重視、国際主義と平等への反発がドイツ・ナショナルな感情のなかで次第に目立つようになると、それにともなって「人種問題に自覚的であること」が求められるようになり、ユダヤ系マイノリティへの敵意が膨れ上がっていった。ユダヤ系マイノリティは数的にもわずかで、同化しようとする者が大勢だったにもかかわらずである。(上p.105~6)

 支配的な存在感、(よく歪曲されてはいたが)細かな事実についての異様なほどの記憶力、イデオロギー的確信に立脚した(異論を許容しない)絶対の信念は、ヒトラーの特異な資質をすでに信じかけている者には強い印象を与えた。しかし、知識ある者が批判的に距離を保って見れば、その粗雑な議論はすぐに底が知れるようなものでしかなかった。(上p.309)

 「大衆は何も見ず、愚かで、自分が何をしているのかも知らない」とヒトラー主張した。大衆の「考えは未熟である」。大衆にとって「理解」は「不安定な基盤」にしかならない。「安定的なのは感情、すなわち憎しみである」。ドイツが抱える問題の解決策として、非寛容、力、憎しみを説けば説くほど、聴衆はそれに賛同するようになった。(上p.314)

 批判的な者にとっては半面だけの真実、歪曲、過度の単純化、曖昧で疑似宗教的な救済の約束をごた混ぜにしたような理解に苦しみ代物だった。しかし、シュポルトパラストを埋めた一万六千人の人びとは知的な議論を聞きにやってきたわけではない。彼らは聞きたかったものを聞けたのだった。(上p.332)

 労働者大衆はパンとサーカスを求めるだけで、理想の意味など決して理解しようとしない。(上p.352)

 社会全体の窮状の原因は指導力不足にある。民主主義、平和主義、国際主義が無力化と弱体化を招き、偉大なる国民に膝をつかせた。そうした腐敗を一掃すべきときだ、という主張だった。(上p.356)

 恐慌期の困窮と緊張は報復感情も強めた。この悲惨な状況の責任を誰かに負わせる必要があった。罪をかぶせる相手が必要とされ、標的となる敵が定められた。政敵の名が挙げられ、晴らすべき恨みが数え上げられた。たいていの場合、個人的な敵意と政治的反目は密接に関連していた。(上p.433)

 無関心は往々にして無力感からくるものだった。(上p.434)

 「ウィーンでは無名だった者」、「名もなき一兵卒」、ビアホールの扇動家、何年ものあいだ過激派の一勢力にすぎなかった政党の指導者、複雑な国家機構を動かす資質をもたず、ナショナリスティックな大衆の卑しい衝動をかき集めることだけに長けた者が、ついにヨーロッパの大国のひとつで政権を任されることになったのである。(上p.446~7)

 そのせいで、抑圧された攻撃性に満ちた手負いの巨人ともいうべきドイツ国民国家の権力は、政治的暴徒の危険な指導者の手に握られることになったのである。(上p.447)

 そして排外主義で歪んだヒトラーのドイツ意識は、国民としてのドイツの独自性、なかでも文化的優越性を主張する知識層の意識に立脚していた。(上p.449)

 「こんなことは全部気違い沙汰だとは思うが、自分にはどうでもよいことだ」というのがある非ユダヤ人が漏らしたその日の感想だが、これはあながち典型的ではないとはいえないだろう。(上p.494)

 そして、「1789年の思想」、自由主義思想のもつ合理性と相対主義を拒絶し、非合理主義を意識的かつ自覚的に取り入れ、個人ではなく「民族共同体」に意味を見出し、「国民的覚醒」によって自由を得ようとする彼らの思想に感化されて、ドイツの多くの知的エリートがヒトラーの第三帝国の反知性主義、低級なポピュリズムにとらわれることになった。(上p.502)

 1934年の危機的な夏が去り、9月に入ると、ヒトラーは再びニュルンベルク党大会の大がかりなプロパガンダで本領を発揮した。前年の党大会と比べても、今回の党大会は意識的に総統崇拝を強化する場とされた。ヒトラーはいまや運動の頂点に君臨し、大会ではヒトラーに敬意が表された。才能にあふれた魅力的な監督レニ・リーフェンシュタールが撮影した党大会の映画は、この後、国中の観客の前で放映され、ヒトラー崇拝に独自の重大な貢献をすることになった。映画の題名を「意志の勝利」にすると決めたのはヒトラー自身だった。実際には、ヒトラーの勝利は意志によって得られたものだとはいいがたい。勝利が得られたのは、むしろ、夏の権力闘争のなかで、ドイツ国家をヒトラーの勝手にさせることで多くの利益を得た者、もしくは利益を得たと考えた者たちのおかげだった。(上p.546)

 ヒトラーがデマゴーグとして成功したのは、不満を抱く大衆が聞きたいことを語り、大衆の言葉を話し、絶望した心理を捉えてそこにつけ込み、不死鳥のような国民の再生という新たな希望を示す能力があったからである。ヒトラーは人びとの憎悪、ルサンチマン、希望、そして期待を語ることに誰よりも長けていた。そして、似通ったイデオロギー的主張をもつ誰よりも甲高く、熱烈に、表現豊かに、そして説得力のある言葉で語った。ヒトラーは、すべてを飲み込む国民的危機という決定的な時期において、ナショナリスティックな大衆の代弁者だったのである。(下p.33)

 ヒトラーが狂喜したことに、ドイツ人選手たちは競技を国民的勝利に変えた。ドイツは最多のメダルを獲得したのだ。これは、他国よりも優れているという国民の信念を大いに高める結果だった。(下p.46)

 しかしながら一般市民も、憎しみの風潮とさもしい本能に訴えかけるプロパガンダに感化され、純粋な物質的羨望や強欲にも突き動かされて、多くの場所でナチ党の指導に従い、ユダヤ人資産の破壊と略奪に加わった。(p.179)

 おべっか使いとイエスマンと日和見主義者に囲まれたヒトラーの権力は、この時絶対となった。(下p.226)

 自身が置かれた不確かな経済状況への恨みは、民族至上主義的な陣営、そしてナチ党へと彼らを駆り立てた。(下p.289)

 1941年に続いたヒトラーの不在は、戦いが進行し、最終勝利が幻想となるにつれて、扇動の達人で、その権力の少なからぬ部分を国民の期待とルサンチマンをかき立てる稀代の能力に依拠していた20世紀の最も有名なポピュリスト指導者が、国民から隔絶した手の届かぬ人物へと変わっていくプロセスの始まりだった。(下p.453)

 そうした目標はたしかに、権力の傲慢とドイツ民族が生れながらに他民族より優れているという思い上がりから追及された。(下p.772)
 安倍上等兵は、安倍上等兵によっては説明できません。国民を見殺しにする人物が国民に支持されるというこの不可解かつグロテスクな現象を説明するには、彼に魅力やカリスマ性を見出した人びとの側から考える必要があるでしょう。ドイツ人の場合で言えば、恐怖心からくる攻撃性、個人に対する国家の優越、秩序と権威の重視、国際主義と平等への反発、パンとサーカスを求めるだけで理想の意味など決して理解しようとしない労働者大衆、無関心と無力感、ナショナリスティックで卑しい衝動、反知性主義、低級なポピュリズム、純粋な物質的羨望や強欲、自身が置かれた不確かな経済状況への恨み、ドイツ民族が生れながらに他民族より優れているという思い上がり… こうして列挙してみると、ヒトラー政権と安倍政権を支持するメンタリティの共通点が浮び上ってきます。また、著者のイアン・カーショー氏はヒトラーを、"知性も社会性もなく、政治以外の点ではおよそ見るべきところがなく、近しい者にとってさえ得体が知れず、真の友人をつくることもできそうになく、高い地位につけるだけの素養もなく、首相になる前には閣僚経験すらなかったような人物" (上p.22)と評されています。安倍上等兵とは面識はありませんが、その人となりや性格の共通点もけっこうありそうですね。

 この本を一助として、悔いの残らない、未来に禍根を残さない、他国の人びとから「いいなあ」と羨ましがられるような選択をしたいものです。1933年1月末、ルーデンドルフが大統領ヒンデンブルクに宛てた手紙と同様のものが、後世の日本で書かれないようにしましょう。「あなた」を「有権者」に読み替えてください。
この呪われた男がわれらの国を奈落の底へと突き落とし、
わが国民は想像を絶する辛酸を舐めることになるに違いありません。
あなたの所業に対して後世の人びとは死したあなたを謗るでしょう。(上p.402)

by sabasaba13 | 2017-05-16 06:23 | 鶏肋 | Comments(0)
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