若草山山焼き編(10):奈良(15.1)

 この東向通りには、日本聖公会奈良基督教会と親愛幼稚園があります。「文化遺産オンライン」から引用しましょう。
 日本聖公会奈良基督教会は、奈良市中心部、興福寺境内の西隣に位置している。奈良県内で古社寺修理の経験を持つ大木吉太郎の設計施工により、親愛幼稚園舎は昭和4年、会堂は同5年にそれぞれ竣工した。会堂は本格的な三廊式教会堂であるが、勾配の緩い伸びやかな屋根、小組格天井、菱格子欄間など和風要素で構成されている。親愛幼稚園舎もほぼ同様の意匠からなり、間仕切を外せば会館としても使用することができる。日本聖公会奈良基督教会は、奈良公園に隣接する立地条件から、純粋な和風意匠でつくられた教会堂建築である。古建築から着想を得た諸要素を巧妙にまとめ、各部のバランス、細部意匠とも秀逸で意匠的に優れている。古社寺修理から学んだ伝統的な要素を駆使し、教会堂として完成させた昭和初期の近代和風建築として、高い価値がある。
 なお『建築探偵 神出鬼没』(藤森照信 朝日新聞社)に教示していただいたのですが、1894(明治27)年、奈良国立博物館が建てられた際、そのフランス風の洋館が奈良にそぐわないと地元民や県議会の批判をあびました。以後、奈良公園一帯の建物は和風建築しか認められなくなったそうです。なるほど、奈良ホテルの和風意匠もそのためなのですね。(p.133)
 四本のイオニア式列柱が見事な南都銀行本店を撮影しましたが、奈良では珍しい様式建築です。もとは六十八銀行奈良支店で竣工は1926(大正15)年、設計は長野宇平治です。辰野金吾の弟子で、銀行建築を数多く手がけた建築家です。私が見たことがあるのは、台北の旧総督府と、旧日本銀行岡山支店(現ルネスホール)、旧日本銀行松江支店(現カラコロ工房)ぐらいかな。
 そしてお昼ご飯を食べる店を付近で物色。帯に短し襷に長し、迷った挙句に「二鶴」で鰻を食べることにしました。タレと白焼きの二色丼にうまき、美味しうございました。
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 落ち着いた雰囲気の本林院町を通り過ぎると、庇の上で極太の尻尾をたらしたが気持ち良さそうに午睡をしていました。猿沢池にそそぎこむ率川(いさがわ)を橋からふと見下ろすと、舟型の台座に何体かの石仏が集められた一角がありました。とりあえず写真におさめ、今インターネットで調べてみると、これは『率川地蔵尊』(または「尾花谷地蔵尊」「舟地蔵」とも)と呼ばれるもので、幕末のころ、この辺りの河川工事をした際に埋もれていた約40体の石仏が見つかり、ここに集められて祀られるようになったのだそうです。へえー、だから街歩きは面白い。なおこの時に渡った石橋の橋脚には「明和七庚寅年五月吉日」と刻まれており、1770年に架けられた古い石橋だそうです。これには気づきませんでした、不覚。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-20 06:28 | 近畿 | Comments(0)
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