若草山山焼き編(17):新薬師寺(15.1)

 そして十数分ほどペダルをこいで新薬師寺へ向かいました。747(天平19)年、聖武天皇の病気平癒を祈って光明皇后が創建した古刹です。お目当ては、凛とした小振りな本堂(国宝)の中に鎮座する塑像群、本尊の薬師如来を守護する十二神将です。残念ながら写真撮影はできないのですが、その厳しい表情と躍動的な姿態を拝んでいると身心がひきしまる思いです。
 なおこちらにも会津八一の歌碑がありました。
ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の みそなはす とも あらぬ さびしさ
 『自註鹿鳴集』(岩波文庫)には、こう記されています。
 あふぎみれども 高さ二尺四寸の立像にで、決して高しとはいふべからざるも、薬師堂の正面の壇上に、やや高く台座を据ゑたれば、「仰ぎ見る」とは詠めるなり。この歌の作者自筆の碑は、今は空しくその堂の前に立てり。嶋中雄作君の建つるところ。(p.27~8)
 お寺さんでもらったパンフレットによると、これは香薬師、子供の姿をした薬師如来の小像で、昭和時代に寺外へ持ち出されて今も行方不明だそうです。嶋中雄作は中央公論社の社長ですね。
 なお新薬師寺のとなりには「扉があいているときはどうぞご自由にお入り下さい」「熟柿庵」という札がかかった、寺でもなし神社でもなし菜園でもなし、草木やアカンサスが雑然と生い茂る摩訶不思議な空間がありました。今もってよくわからないのですが、木片に金釘流で無造作に書かれていた「緑蔭のブランコに歳なくしけり」という句が妙に心に残っています。
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 そして近くにある、唐招提寺のような大屋根と甍が印象的な「入江泰吉記念 奈良市写真美術館」に参りました。公式サイトから、奈良大和路の写真家として著名な入江泰吉(1905~1992)についての紹介文を引用します。
 1905(明治38)年、奈良市に生まれる。画家を志すが家族の反対で断念するも、長兄からアメリカ・イーストマン社のベストコダック・カメラを譲り受け、写真に打ち込む。1931(昭和6)年、大阪で写真店「光芸社」を開業。文楽人形を撮影した「春の文楽」で世界移動写真展一等賞を受賞、文楽の写真家として活躍する。1945(昭和20)年3月、大阪大空襲に遭い自宅兼店舗が全焼、ふるさと奈良へ引き揚げる。同年11月17日、疎開先から戻される東大寺法華堂四天王像を目撃、そのときアメリカに接収されるとの噂を聞き、写真に記録することを決意。以後、奈良大和路の風景、仏像、行事等の撮影に専念。晩年は「万葉の花」を手掛けるなど約半世紀にわたって撮り続けた。1992(平成4)年1月16日死去。享年86歳。
 しばし彼が撮影した、奈良大和路の仏像や風景をテーマとした珠玉の写真を鑑賞。至福のひと時を過ごせました。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-06-03 06:30 | 近畿 | Comments(0)
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