若草山山焼き編(18):高畑町(15.1)

 そして白毫(びゃくごう)寺へと向かいますが、途中で珍しい透かしブロックを見かけました。やはり上りの坂道が続きます、電動アシスト付自転車でよかった。すいすいと電気の力を借りて、十分ほどで白毫寺に着きました。
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 天智天皇の皇子、志貴皇子の山荘跡に建てられたと言い伝えられる古刹で、鎌倉時代に叡尊によって再興されました。百段余りの石段を登ると境内から奈良市街を一望することができました、絶景絶景。奈良の街並み、寺門、石段、土塀を写真におさめるとまるで一幅の絵のようです。なお咲いてはいませんでしたが、奈良三名椿の一つとして知られる五色椿や参道の石段を覆う萩も有名です。
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 それでは高畑(たかばたけ)界隈を彷徨しましょう。このあたりは、春日大社の神職が住む町として古くからひらけ、柳生街道の終始点であったことから賑わってきました。また、大正から昭和にかけては多くの文人墨客に愛され、文化の町としても知られるようになりました。白壁・築地塀・奈良の伝統的な町屋・文人墨客が建てた洋館風の民家・石の道標や路傍の石仏などが楽しめる、私の大好きな町です。お寺さんを背景に屹立する火の見櫓と、志賀直哉旧居を撮影。
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 その近くには登録有形文化財に指定されている中村家住宅(旧足立家住宅)主屋・塀がありました。
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 解説文を転記します。
 この住宅は、洋画家足立源一郎(1889-1973)が自邸として大正8(1919)年に建て、昭和3(1928)年に洋画家中村義夫(1889-1957)が譲り受けたものです。
 主屋は、赤瓦を葺き、外壁をモルタルで仕上げた洋風住宅です。フランスから帰国した足立自ら南プロバンス風に設計したと伝わっています。内部には、ステンドグラスで飾った玄関、吹抜けのアトリエ、サンルーム等があります。土塀にも赤瓦を使用し、瀟洒な門柱を構えています。
 なお、この一帯には、明治初期まで春日大社の神官たちが、土塀で囲った屋敷に暮らしていました。当家の土塀も、そうした歴史を受け継ぐものです。
 町の風情を楽しみながら自転車をゆっくりと走らせ、奈良公園へ。三笠山の麓を駆け抜けて山焼きの跡を視認し、東大寺大仏殿や鹿たちを撮影しながらホテルへと向かいました。途中で「天極堂」に立ち寄って、山ノ神はお土産の葛菓子を購入。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-06-04 08:08 | 近畿 | Comments(0)
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