若草山山焼き編(21):洞泉寺町(15.1)

 そして「まちなかサロンカフェー 佳香」で珈琲をいただいて一休み。
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 それではかつての遊郭町、洞泉寺町へと行きましょう。この町の存在は、『赤線跡を歩く』(木村聡 ちくま文庫)に教示していただきました。「ニュース 奈良の声」から引用します。
 市史によると、洞泉寺町の遊郭の歴史は、近世郡山藩が成立した江戸初期にさかのぼる。元和3、4(1617、18)年ごろ、同じ城下町内の雑穀町から移された。同7(1621)年、士風に悪影響があるとして取り払われたが、その後、再び遊女町に戻り、幕末には6軒が店を並べた。
 1995年県発行の「ならの女性生活史 花ひらく」によると、明治の本県には、奈良町と郡山町に合わせて4カ所の公認された遊郭があり、洞泉寺町はその一つ。同書に収められた、洞泉寺町の遊郭経営者の家に生まれた人の証言によると、昭和32(1957)年の売春防止法施行に伴い、遊郭が閉鎖された当時は14、15軒が営業をしていた。閉鎖後は、貸し座敷や麻雀店にしたり、大学生に間貸しするなどの転業をしたという。
 県建築士会郡山支部によると、遊郭だったとみられる建物は現在5軒。建物は軒を連ねるか、近接するかしており、同町の歴史的町並みを形成する要素になっている。
 このうち、旧川本家住宅は市ホームページによると、大正13(1924)年の建築で木造3階建て。格式の高い豪壮な造りで、近代遊郭の屋敷構えを知ることができる貴重な近代和風建築という。市が保存を目的に買収し、平成26(2014)年、国の登録有形文化財に登録された。まちづくり、観光、人権教育などの拠点としても活用されているという。公開に向け、現在、耐震工事が行われている。
 それでは徘徊いたしましょう。ひと目でそれと分かる遊郭建築が数軒、軒を並べています。豪壮な三階建て、繊細な格子窓、洒落た玄関、意を尽くした意匠、これは見事です。
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 中にはハート型の窓が三つ並ぶという建物もあり、おもわず緩頬してしまいました。ただ前出の「ニュース 奈良の声」によると、いずれも空き家か人が住んでいない状態になっており、関係者諸氏は取り壊しを考えているそうです。費用がかかるのは理解できますが、なんとか保存ができないものでしょうか。貴重な建築であると同時に、時代の暗黒面も物語る証人だと思うのですが。
 実は、東岡町あたりも遊郭跡であるということで、さがしたのですが見つけることができませんでした。事前調査の不足、および新幹線の乗車時刻の関係で、捜索を断念。再訪を期したいと思います。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2017-06-07 06:31 | 近畿 | Comments(0)
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