『茨木のり子詩集』

 年がら年中というわけではありませんが、時として無性に詩が読みたくなります。磨き上げられた言葉の凄みに触れたくなるのかもしれません。好きな詩人は、萩原朔太郎金子光晴山之口獏井伏鱒二宮沢賢治茨木のり子田村隆一、ジャック・プレヴェール、ラングストン・ヒューズ、ディラン・トマス、ベルトルト・ブレヒト…とは言っても失礼なことに読み散らかしただけですが。

 先日、ふらりと本屋に入ると、書棚に『茨木のり子詩集』(谷川俊太郎選 岩波文庫)があるのを見つけました。これは嬉しい、「わたしが一番きれいだったとき」と詩集『倚りかからず』(筑摩書房)しか読んだことがなかったので、彼女の詩をまとめて読む格好の機会です。すぐに購入し、一気に読み終えました。
 以前に読んだ『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書9)の中で、彼女はこう言っておられました。
 つづまるところ詩歌は、一人の人間の喜怒哀楽の表出にすぎないと思うのですが、日本の詩歌はこれまで「哀」において多くの傑作を生んできました。「喜」や「楽」にも見るべきものがあります。ただ「怒」の部門が非常に弱く、外国の詩にくらべると、そこがどうも日本の詩歌のアキレス腱ではあるまいか、というのが私の考えです。
 この詩集を読んで、あらためて茨木のり子が詩で表現する真摯で力強い「怒」を感じることができました。いくつか紹介しましょう。
樫の木の若者を曠野にねむらせ
しなやかなアキレス腱を海底につなぎ
おびただしい死の宝石をついやして
ついに
永遠の一片をも掠め得なかった民族よ (「ひそかに」 p.20)


ひとびとは
怒りの火薬をしめらせてはならない
まことの自己の名において立つ日のために (「内部からくさる桃」 p.25)


ああ わたしたちが
もっともっと貪婪にならないかぎり
なにごとも始まりはしないのだ。(「もっと強く」 p.34)


女たちは長く長く許してきた
あまりに長く許してきたので
どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
生めなくなったのではないか?
このあたりでひとつ
男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
女のひとのやさしさは
長く世界の潤滑油であったけれど
それがなにを生んできたというのだろう? (「怒るときと許すとき」 p.64~5)


どうして こうおとなしいんだろう みんな (「ゆめゆめ疑う」 p.132)


田中正造が白髪ふりみだし
声を限りに呼ばはった足尾鉱毒事件
祖父母ら ちゃらんぽらんに聞き お茶を濁したことどもは
いま拡大再生産されつつある

分別ざかりの大人たち
ゆめ 思うな
われわれの手にあまることどもは
孫子の代が切りひらいてくれるだろうなどと
いま解決できなかったことは くりかえされる
より悪質に より深く 広く
これは厳たる法則のようだ (「くりかえしのうた」 p.145)


戦争責任を問われて
その人は言った
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる (「四海波静」 p.183)


過去に釣瓶をおろし
ゆったりと一杯の水も汲みあげられない愚鈍さ (「苦い味」 p.192)


言葉が多すぎる
というより
言葉らしきものが多すぎる
というより
言葉と言えるほどのものが無い

この不毛 この荒野
賑々しきなかの亡国のきざし
さびしいなあ
うるさいなあ
顔ひんまがる (「賑々しきなかの」 p.202)


それぞれの土から
陽炎のように
ふっと匂い立った旋律がある
愛されてひとびとに
永くうたいつがれてきた民謡がある
なぜ国歌など
ものものしくうたう必要がありましょう
おおかたは侵略の血でよごれ
腹黒の過去を隠しもちながら
口を拭って起立して
直立不動でうたわなければならないか
聞かなければならないか
   私は立たない 坐っています (「鄙ぶりの唄」 p.236)


車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

  そんなに情報集めてどうするの
  そんなに急いで何をするの
  頭はからっぽのまま (「時代おくれ」 p.241~2)
 こうしてみると、彼女の怒りの矛先は、国家に対してだけではなく、その「腹黒の過去」を「お茶」に濁し、「口を拭」い、その「過去に釣瓶をおろし」て「ゆったりと一杯の水も汲みあげられない愚鈍」な日本の民衆にも向けられているのですね。あらためて「腹黒の過去」を隠し、「拡大再生産」しようとする安倍上等兵政権と自民党、それと癒着する財界に対して、きちんと怒らねば、と思いました。

 追記その一。中国や朝鮮に対して日本が行なった「腹黒の過去」を謳った詩がいくつかあることも知りました。例えば、朝鮮の人々が日本による植民地支配をどう見ているかを詩にした「総督府へ行ってくる」という作品です。
日本人数人が立ったまま日本語を少し喋ったとき
老人の顔に畏怖と嫌悪の情
さっと走るのを視た
千万言を費やされるより強烈に
日本がしてきたことを
そこに視た (p.224~5)
 また中国から北海道へ炭鉱労働者として強制連行され、鉱業所での屈辱に耐えきれず脱走し、終戦を知らずに13年間、北海道の山中での逃避行を続けた劉連仁氏を謳った「りゅうりぇんれんの物語」という詩もあります。
昭和三十三年三月りゅうりぇんれんは雨にけむる東京についた
罪もない 兵士でもない 百姓を
こんなひどい目にあわせた
「華人労務者移入方針」
かつてこの案を練った商工大臣が
今は総理大臣となっている不思議な首都へ

ぬらりくらりとした政府
言いぬけばかりを考える官僚のくらげども (p.120~1)
 罪のない中国人をひどい目に合わせたこの御仁のお孫さんが、今の総理大臣ですね。そしてくらげのような官僚のみなさんは、今だにぬらりくらりと言いぬけばかり考えています。相も変わらず不思議な首都です。

 追記その二。大岡信との対談の中で、茨木のり子はこう語っています。
 わたし選挙を一度も棄権していないのは、やはり明治時代から女の参政権のために闘ってきた人たちがいたわけですから、その人たちへの敬意もあって雨が降ろうが嵐だろうが…。(p.345)

 追記その三。若い頃によく見ていたTVドラマ、『俺は男だ!』に印象的な場面がありました。詳細は憶えていないのですが、何かトラブルがあってクラス全員が国語の授業をボイコットしました。しかし主人公(森田健作)だけが一人教室に残り、先生の前で教科書の詩を朗読します。するとそれに唱和しながら、クラスメートが次々と教室に戻ってきます。その詩がなんと、茨木のり子の「六月」という詩だったのですね。忘れていた旧友に出会えたようで、嬉しくなりました。
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる (p.51~2)

by sabasaba13 | 2017-07-16 05:25 | | Comments(0)
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