近江編(10):近江八幡(15.3)

 40分ほど走って近江八幡駅前に到着、そして本日のお目当て、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の建物めぐりです。まず観光案内所でいただいた資料から、彼のプロフィールを転記します。
 ヴォーリズは1880年10月28日アメリカのカンザス州レブンワースに生まれた。少年時代より音楽と絵を描くことを好み、建築家になろうと志した。「学生伝道隊運動」の世界大会にYMCAより出席をし、キリスト教の教えを海外で伝道をしようと決意をした。
 1905年2月2日に八幡に着き、県立商業学校の英語の教師として教鞭をとった。授業でも、また授業以外のバイブルクラスでも大変人気があり、生徒の心を掴んで2年間活躍した。その後もヴォーリズは八幡に留まり、キリストの教えを生活の中に生かそうと決意し建築の設計を始めた。
 1907年にヴォーリズ自身が近江八幡YMCA会館(現在のアンドリュース記念館)を設計、その後も仕事が順調に増えた。多くの人々と出会い、信仰により結ばれて支えられていた。
 グループの事業は
1.建築設計事務所 (ヴォーリズ建築事務所)
2.医療事業 (肺結核診療所としてツッカーハウス(現在のヴォーリズ記念病院))
3.製薬会社 (メンソレータム(現メンターム)の製造、販売)
4.教育事業 (近江兄弟社学園の幼・小・中・高等学校)
5.図書館 (旧伴庄右衛門邸を利用して近江兄弟社図書館)
 を擁するまでに拡大した。中でもヴォーリズの建築が人の心を惹きつけている。
 1906年から1925年の18年間に設計された建物は、日本国内で確認されているものだけでも住宅が164棟、学校・図書館・寄宿舎が118棟、病院が6棟、教会・音楽堂・講堂が114棟、銀行・会社・デパートが24棟ある。こうした数多くの建築の中でも、ヴォーリズ建築の特徴を、またその人柄や心を最もよく顕しているのは住宅である。
 1919年に一柳満喜子と結婚をし、1941年に日本に帰化をし、日本国籍を取得して一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名をした。これは米国より来て留まるという決意を示している。その後1957年8月に蜘蛛膜下出血のために病床に就き、1964年5月7日享年83歳で天に召された。
 彼の作品は、これまで東華菜館日本福音ルーテル市川教会会堂九州学院高等学校講堂兼礼拝堂大丸ヴィラ芝山口記念会館山の上ホテルを見てきましたが、肩ひじを張らず奇を衒わず、住みやすそうな使いやすそうな印象の好建築ばかりでした。ここ近江八幡には、彼の作品が数多残っているので、できうる限り見てまわりたいと思います。

 まず駅前にヴォーリズが設計した日本基督教団近江金田教会がありました。観光パンフレットから引用します。
 赤い瓦屋根と真っ白なスタッコ壁、正面から見て左側にある鐘楼が特徴的でシンプルな外観でヴォーリズらしい優しさや暖かさを感じさせる建物である。農村伝道を目的として建てられた木造2階建てである。外壁の窓枠や表札などは当時のままで趣きがある。2階に礼拝堂がある。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-07-21 06:32 | 近畿 | Comments(0)
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