近江編(13):近江八幡(15.3)

 それでは八幡堀へと戻りましょう。途中で瓦屋さんを何軒か見かけました。その看板に「八幡瓦・三州瓦・岐阜瓦・奈良瓦・淡路瓦・石州瓦・越前瓦」と、各地特産の瓦が記されているように、ここ近江八幡は瓦の特産地です。「かわらミュージアム」のHPによると、豊臣秀吉の命によって豊臣秀次が1585(天正13)年に築城した「八幡山城」にその淵源を求められるそうです。
 近くには、蝶ネクタイをしめマイクを持った異な風体の鳥を用いた「飛び出し人形」がありました。
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 今、写真を拡大して確認すると、「知ったかぶりカイツブリ製作委員会」と小さく記されています。なんだそりゃ? インターネットで調べてみると、カイツブリとは、琵琶湖などに生息する水鳥で、滋賀県の県鳥になっているそうです。それをメインキャラクターにしたアニメ「知ったかぶりカイツブリ」が滋賀県で人気を集めているとのこと。公式サイトもありますので、よろしければご笑覧を。

 そして素敵な景観の八幡堀に着きました。白壁や板壁の家々と石垣、それを水面に美しく映す堀。ピクチャレスクな光景です。解説板があったので転記します。
 近江八幡のまちが発展した理由はいくつかありますが、八幡堀の役割は欠かすことはできません。堀は城を防御するために存在しますが、豊臣秀次はこの八幡堀を運河として利用することを考え、琵琶湖を往来する荷船をすべて八幡の町へ寄港させました。
 また、八幡山城下はかつての安土と同じく、楽市楽座を取り入れたことから、商人の町として大いに活気を呈しました。
 多くの商人が八幡の町から全国へと旅立ち、近江商人として活躍した原動力となった八幡堀も、昭和30年ごろになると時代は高度経済成長期に入り、人々の生活が変化する中で、次第に市民の関心も薄らいでいきました。やがて、八幡堀はドブ川のようになり、埋め立てられようとしました。
 しかし、「八幡堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」の合言葉により、市民が立ち上がり、清掃活動に取り組みました。その結果、次第にかつての姿を取り戻すようになり、今日でも各種団体による清掃活動が続けられています。
 近江八幡市民の炯眼と尽力に敬意を表します。

 すぐ近くには、古い学校、白雲館があります。中央に屹立する楼閣、左右対称のバランスのよい佇まいに、唐破風がいいアクセントになっています。解説板を転記しましょう。
 明治10年(1877)に八幡東学校として建築された白雲館は、八幡商人や地域住民の人々の熱意と協力で当時6千円(米1俵が1円34銭)の費用をかけて建設されました。明治10年の児童数は男115人、女117人、計232人と記されています。
 学校として使用された後は、役場、郡役所、信用金庫等を経て、平成6年に建設当時の姿に復元されました。
 白雲館という名称は、藤原不比等の和歌「天降(あまふり)の神の誕生(みあれ)の八幡かも比牟礼(ひむれ)の杜になびく白雲」から名付けられた説や鎌倉時代の臨済宗の僧:白雲えい暁(はくうんえいぎょう)の徳を偲んだことによる説などがあります。
 なお「えい」は「慧」の脚の「心」がない字でした。インターネットで調べてみると、「白雲慧暁(はくうんえぎょう)」とありましたが、どちらが正しいのでしょうか。ご教示を乞う。

 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2017-07-24 06:26 | 近畿 | Comments(0)
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