近江編(17):近江八幡(15.3)

 そして見逃せないのが、この天皇を頂点とする格差社会が、貧者=民衆に恐怖を与え、抵抗力を奪うという点です。『無意識の植民地主義』(野村浩也 御茶の水書房)から引用します。
 恐怖政治=テロリズムは、「抵抗したら殺されるかもしれない」という「暴力の予感」を被植民者に喚起することによって機能する。重要なのは、暴力や死を予感させることなのだ。その点では、失業もほとんど同じである。職を奪って食えなくさせ、そのまま放置しておけば、そのうち確実に死ぬのだから。それは、直接殺す手間をはぶいた、いわば時間差殺人である。したがって、失業させることもまた暴力であり、死を予感させる暴力なのだ。(p.204~7)
 失業とは、死を予感させる暴力であり、ある種のテロリズムであるという視点は斬新です。失業を含めた貧困の淵に立たせているかぎり、民衆は恐怖に怯え、抵抗力を失い、格差社会というシステムを受忍するしかないのですね。
 しかしその受忍が限界を超え、予感ではなく死に直面したらどうなるのか。世界恐慌(1929)の影響による昭和恐慌(1930~31)が、日本をそのような状況に追いこみます。企業の操業短縮、倒産、産業合理化による賃金引下げ、人員整理、失業者の増大。そして農村では、農産物の価格暴落、生糸輸出の激減、豊作による米価下落(1930)と、翌年の大凶作。都市失業者の帰農による農家の困窮。その結果、『大系 日本の歴史14 二つの大戦』(江口圭一 小学館)によると、下記のような凄惨な事態が現出しました。
 特に夜の分は顔をさだかに見別け難いのを幸い、一残飯商店に二百名乃至三百名が列をなして押かけ、むしろ凄惨の気をみなぎらせている。…なかには相当の服装をしている者が子供を乳母車に乗せて通うなど、その現場は極度に窮乏化した最下級生活者の縮図をここに展げ、残飯商人は時ならぬ好景気に恵まれている。…豊橋の市街地に現れた疲弊困窮の姿は末世の感漸く深きものがある。(『名古屋新聞』 32年6月18日) (p.178)

 午前四時に起床して日没まで働き、一二石の米収をうるが、六割八分の八石一斗を小作米として地主に納めるので、手もとには三石九斗しか残らず、就眠時間四時間を余儀なくされる養蚕は三〇年の繭価の暴落で一六貫が七三円にしかならなかったため、売却した米一石の代金二五円をあわせ、九八円が全収入であった。ここから養蚕具代・肥料代・税金・電灯代を差引いた一七円二〇銭が四人家族の一年間(一か月ではない)の全生活費であった。入浴は月三回、家は雨もりがする。「俺達の生活のなかに、ただ寝る時間以外に幸福という一瞬の時間もない」(加茂健「此の窒息から免れたい」『中央公論』 30年10月) (p.179)
 まさしく、死に直面した状況です。こうなると弱者・貧者といえども抵抗をせざるをえず、事実、労働争議・小作争議もこの時期に激化しています。天皇を頂点とする格差社会というシステム、「国体」が崩壊の危機に瀕したわけですね。支配者たちにとって、システムを救う選択肢は二つあったと考えます。
 ひとつは、「国体」を部分的に是正して富者の富を貧者に再分配すること。『世代を超えて語り継ぎたい戦争文学』(澤地久枝・佐高信 岩波現代文庫)のなかで、澤地氏はこう述べられています。
 五味川(※純平)さんとよく話し合ったのは、では満州事変を起こして満州をとらなかったら日本人は飢えたのか、という点でした。
 「なぜ日本は飢えるか」。五味川さんは、みすず書房の『現代史資料』に集められていた左翼的なビラの一枚を見て、「この視点がなかったんだ」と言った。それは、英文を訳したビラなんだけれど、侵略しなくても分配をちゃんとやっていけば、この島国の中で十分食べていける、という視点のものでした。こういう視点がなかった、落ちている、と五味川さんは言っていました。勝てないから戦争をやらないんじゃなくて、勝てても戦争はやっちゃいけないし、食べられないからよその国へ侵略すると考えがちだけれども、侵略しなくても、富をきちんと分配すれば、十分食べていける。避けようとすれば避けられた戦争だった。しかし、この視点が戦争中も今もない、と。(p.61)
 しかし既得権益に固執し格差社会を部分的にでも是正することを嫌悪した軍部は、もうひとつの選択肢、戦争による植民地拡大の道を選びました。そして官僚・財界・政治家もこれに追随します。その惨たる結果については贅言を要しないでしょう。
 問題は、格差社会の犠牲者である貧者・弱者がこの選択肢を支持したことですね。なぜ格差社会の是正ではなく、侵略戦争を求めたのか。戦争と植民地獲得による好景気への渇望、中国人に対する差別意識、中国におけるナショナリズムの軽視、日本の軍事力への過信といった理由が思い浮かびます。中国を犠牲にして国益をはかろうとする倫理的頽落、天皇を頂点とする格差の構造を究明・批判しようとしない知的怠惰、あるいは怯懦・諦観。高等教育が充分に普及していなかった戦前の社会状況を考慮すれば、そこまで言うのは酷かもしれません。しかしせめて知識人はその責を担うべきだったと思います。
by sabasaba13 | 2017-07-28 06:25 | 近畿 | Comments(0)
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