近江編(18):近江八幡(15.3)

 ひるがえって同じような状況が、いま、再現されていることに憂慮します。格差社会の再現に対して、その原因や責任を究明・批判しようとしない知的怠惰、あるいは怯懦・諦観。格差社会をつくりあげた自民党・公明党、官僚、財界に牙を剥かず、弱者・少数者・他国に対して牙を剥く人びと。戦前の支配者たちは、格差社会を維持するために戦争による植民地拡大という道を選びましたが、現在の支配者たちはどういう道を選ぼうとしているのでしょうか。アメリカの世界戦略に加担してアメリカ隷下の軍隊として戦争をするのか、あるいは共謀罪によって"日本の敵"を大量につくりだし、国民の不安とストレスをぶつけさせてガス抜きをするのか。はたまた中国・韓国・北朝鮮への敵意と憎悪をさらにかきたてるのか。優秀なアスリートを大金かけて育成し、オリンピックなど国際的スポーツショーで活躍させて、ストレスを解消させるのか。
 おそらくその組み合わせでしょうね。いずれにせよ、「他に適当な人がいない」という理由で安倍上等兵内閣を支持する方が多いのですから、また過半数の議席を得た政党は白紙委任状を持っていると考える方、政治や未来や他者に関心をもたず「今だけ金だけ自分だけ」と考えている方も多いのですから、自民党・公明党+官僚+財界は楽なものです。

 でも… マーチン・ルーサー・キングの言葉です。
 本当の悲惨は、独裁者の暴虐ではなく、善良な人々の沈黙である。

 結核のことから、だいぶ話が大きくなってしまいました。なお戦後の結核患者について、小熊英二氏がご尊父から戦前・戦中・戦後の日本について聞き取りをした貴重な記録『生きて帰ってきた男』(岩波新書1549)の中で次のように述べられていました。後学のために引用します。
 結核予防法は1919(大正8)年に制定されたが、1951年の改正により、結核患者の従業禁止と療養所入所が基本方針となった。周囲への感染予防のため、都道府県知事は結核患者の就業を禁止し、指定の結核療養所に入所命令を出せることとなったのである。
 入所後は、医師から結核が完治したと認められるまで、療養所から出ることはできない。その代わり、療養所に入った患者の診察や治療の費用は、保護者から申請があれば都道府県が負担することとされた。
 このコンセプトは、患者の隔離収容と扶養を基本原則としており、1953(昭和28)年制定の「らい予防法」とほぼ同じであった。治療費が自己負担だった戦前の結核患者の状況と比べれば、患者の経済状況は改善された。しかし一方で、社会から隔離された患者は、いわば「飼い殺し」の状態となり、何年にもおよぶ長期収容で社会性を喪失しかねない。療養所内での人権状況なども問題になり、「らい予防法」は1996年に、結核予防法は2007年に廃止された。
 また謙二は、療養所内の生活費のために、生活保護を受けていたことは覚えている。1950年に改正された生活保護法は、新たに国籍要件などを設けて日本国籍所持者に保護を限定したが、同時に素行不良者などへの保護欠格要件を廃止し、広範囲な救済に方針転換した。この改正が行なわれた1950年には、厚生省の予算の46パーセントが生活保護に費やされたという。
 しかし、謙二がうけとっていた生活保護による生活費は、当時の規定による月額600円であった。岡山療養所の結核患者だった朝日茂が、この金額は憲法25条の規定である「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を侵害しているとして、1957年に訴訟を起こしたことはよく知られる。
 この訴訟での原告側主張によると、月額600円では補助栄養食である生卵の購入にも事欠き、一年に一枚のパンツや、二年に一枚の肌着も買えなかったという。「朝日訴訟」とよばれたこの裁判は、1960年の一審では被告側勝訴、1963年の二審では請求棄却となった。そして1964年の原告の死亡を経て、1967年に最高裁で訴訟終了となっている。(p.216~8)

by sabasaba13 | 2017-07-29 07:32 | 近畿 | Comments(0)
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