近江編(22):桂離宮(15.3)

 それでは桂離宮へと向かいましょう。以前にも一度訪れたことがあるのですが、その時には写真撮影が禁止でした。驚くべきは、その理由は「苔の保護のため」! なぜ写真を撮ると苔に悪影響を及ぼすのか、理解できません。まあ伊勢神宮も撮影禁止だし、天皇制と「隠す」という行為は切っても切れない関係にあるのは理解できますが… 興味深かったのは英文にはそうした理由付けがなかったことです。そりゃあこんな理由では納得しませんよね、外国の方は。「公」(publicではなく、オオヤケ=大きな家=権力と富をもつ者)に命令されると、その根拠を深く考えず鵜呑みにしてしまうわれらが伝統文化を上手に利用しています、さすが宮内庁、と愚考した次第です。その後、写真撮影が可能となったという情報を得ましたので、インターネットで申し込み、午前に桂離宮、午後に修学院離宮を再訪することにしました。ほんとうは桜か紅葉の時期に訪れたいのですが、いつも予約は埋まっておりほぼ不可能です。宮内庁にコネがないと、この時期には見られないのかもしれません。

 阪急桂駅からのんびりと歩いて二十分、桂川のほとりにある桂離宮に着きました。竹の垣根が続いていますが、これが「桂垣」ですね。竹林の竹を折り曲げて編み込んだ垣根、橋本治氏曰く、"垣根の活け造り"です。いやはや、凄いことを考えたものだ。その先には徳大寺樋門の遺構がありました。解説板を転記します。
 桂離宮は、八条宮の別荘として、初代智仁(としひと)親王によって十七世紀始め(ママ)元和元年(1615年)頃に造営を起こされ、二代智忠(としただ)親王によって正保二年(1645年)頃までに建物や庭にも手を加え、概ね現山荘の姿に整えられました。宮家はその後、京極宮、桂宮と改称されて明治に至り、同十四年(1881年)第十一代淑子(すみこ)内親王を最後に途絶え、桂山荘は明治十六年(1883年)宮内省所管となり、桂離宮と称されることになりました。

 徳大寺樋門は、桂川のたび重なる氾濫を防ぐために築かれた堤防(防塁)に設置され、桂川から離宮内庭園池に引き水するために利用されていたもので、幾度か改築整備されてきました。この樋門は、明治四十一年五月(1908年)改築のものですが、流域の都市化等の変遷により平成五年六月(1993年)桂樋門の新設にともない廃止されることになりましたので、その一部(遺構)を残し、往時を偲ぶものです。

 桂の地一帯は平安中期から代々藤原氏が領有し、鎌倉時代に入って近衛家の領有となり、古くから月の名所や瓜の産地になっていたようで、平安時代の文学作品『源氏物語』のなかに

 つきのすむ 川のなかなる 里なれば 桂のかげは のどけかるらむ

 ほか多く詠まれています。

 本日の二枚です。
c0051620_6265887.jpg

c0051620_6272252.jpg

by sabasaba13 | 2017-08-19 06:29 | 近畿 | Comments(0)
<< 近江編(23):桂離宮(15.3) 近江編(21):桂カトリック教... >>