名古屋編(16):福沢桃介記念館(05.8)

 開館の9時まで少し時間があるので、川沿いにあって橋を眺められる喫茶店「ピエロ」で美味しい珈琲をいただきました。さあ時間です、いさんで桃介記念館に行くと… 開いていない。オーシンツクツクオーシンツクツクオーシンツクツクオーシ 呆然と座り込んでいると、係りの女性がいらして、民間委託となった結果30分開館時間を遅らせたとのことでした。ご好意で十分ほど早く入れてもらい、説明をうかがいました。まずは木曽谷の山の歴史と林政に関する展示がある山の歴史館です。江戸時代の木曽山は伐採・立入禁止の留山・巣山と、住民が自由に利用してよい明山に分けられていました。ところが明治政府は、明山まで含めてすべての山を天皇の財産(御料林)にしてしまいます。天皇家の財政基盤と権威の強化がねらいですね。「博物館の誕生」(関秀夫 岩波新書953)に以下の記述があります。
 国会開設を約束した明治十四年には、まだ、1000町歩にも満たなかった御料地を、さらに拡張するために、政府はさまざまな方策を講じた。その一つに、農民の無知につけこんだ、全国各地の入会地接収の例がある。明治6年の地租改正の前年におこなわれた、地券発行のための土地調査の際に、登記後に課税の対象となることをおそれて、農民たちが、所有権をあいまいにした山林などの村落共有地を、事前に振りまいたデマを使ってたくみに騙し取り、次々と国に収用したことは、一般にもよく知られている。(p.169)
 いやはや知りませんでした、関さん。この建物は御料林管理のための出張所としてつくられたのですね。細部の意匠が大変凝っているのは、天皇の権威を視覚化して人々を圧倒して統治するための仕掛けでしょう。天皇と官僚が、持ちつ持たれつ、一蓮托生となって日本を支配していた構造がよくわかる貴重な物件です。内部には盗伐者を閉じ込める監獄もありました。さて、この措置に立ち向かったのが島崎広助(藤村の実兄)を中心とした木曽の人々で、粘り強く哀願をくりかえした結果、御下賜金の交付ということで決着がつきました。(御料林事件) それを記念する碑が、建物の前に立っています。
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 そして桃介が貞奴をともなってしばしば逗留した別荘が、となりにある記念館です。このあたりでは土石流のことを「蛇ぬけ」と言うそうですが、ゴロゴロと転がっている巨石の上に平然と建てられています。内部は桃介と貞奴に関する展示ですが、興味深い一文を見つけました。「水利権問題で福沢桃介の強引なやり方を知るや、大正8年(島崎広助は)再び郡をまとめるべく立ち上がりましたが、桃介の巧妙な工作によって二年後には失意のうちに手を引かざるを得ませんでした。」 桃介のしたたかな一面ですね。
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 ●福沢桃介記念館 http://www.nagiso-town.ne.jp/nagiso/kinen.htm
by sabasaba13 | 2005-09-19 09:13 | 中部 | Comments(0)
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