近江編(35):修学院離宮(15.3)

 そして中離宮に到着です。中離宮はそもそも創建当時の構想にはなかった御茶屋で、後水尾上皇の第八皇女である朱宮(あけのみや)光子内親王のために造営された山荘・楽只軒を中心とした朱宮御所が前身です。後に林丘寺(りんきゅうじ)の境内となりましたが、明治時代に皇室に返却され、中離宮として新たに修学院離宮に加えられたとのことです。
 表門は国公賓が訪れたときのみ開かれる門で、われわれの如き下賤な衆生は入れません。脇にある通用門を抜けて石段をあがると中門ですが、われわれの如き縁なき衆生は入れません。
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 通用門をくぐり、洒落た飛び石や石橋を歩いていくと楽只軒に着きました。朱宮御所創建当時からあり、中離宮では最も古い建物です。
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 前庭と池を撮影して客殿へ。見どころは、五枚の欅板を高さを変えて設置し、霞のたなびく様に似せた「霞棚」です。桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに天下三名棚の一とされております。その優美で洒落た動的な造形には惚れ惚れしますが、背面に貼られた和歌・漢詩の色紙のリズミカルなバランスと、両脇にある襖腰張の群青と金箔のモダンな菱形模様も素晴らしいですね。
 座敷の杉戸には鯉が描かれていますが、全体が網で覆われています。夜毎に杉戸を抜け出して池で遊ぶので、金色の網を描かせたといわれています。鯉の絵の作者は不明、網は円山応挙の筆と伝えられていますがほんとかな。ちがう杉戸には、祇園祭の山鉾が描かれており、作者は住吉具慶と言われています。こちらの座敷には明るい陽射しがさしこむとともに、微風にゆらぐ池の水面が壁に映って、光の饗宴を楽しめました。
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 客殿の北側、仏間の外側の縁には、数本の直線で構成される手摺がありました。「網干(あぼし)の欄干」と呼ばれるもので,漁の網を干した姿を現しているとのことです。それでは上離宮へと参りましょう。途中にきれいなむくり屋根があったので近づくと、菊の紋章がついていました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-09-26 06:19 | 近畿 | Comments(0)
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