近江編(40):水口(15.3)

 時刻は午前八時すこし前、朝食が食べたかったのですが、駅周辺のお店はまだ開いておりません。とりあえず、水口に行って図書館と教会を見てきましょう。八日町駅から近江鉄道本線の貴生川行き列車に乗って約40分、水口石橋駅に着きました。「東海道五十次 水口」という石標を撮影して、すこし歩くと曳山の倉庫がありました。
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 解説文を引用します。
 江戸時代、水口は東海道の宿場町であり、また加藤氏二万五千石の城下町として地域の政治、経済、文化の中心として発展しましたが、曳山祭はこの町に住む町衆の力によって創り出されたものであり、近世のマチ水口の象徴であります。
 曳山の登場は享保二十年(1725)のことで、このとき九基の曳山が巡行し藩邸にもくりこんで賑わいました。その後一町ごとに曳山が建造されるようになりその数三十基余りに達したといわれています。
 当地の曳山は「二層露天式人形屋台」という構造をもち、複雑な木組み、精緻な彫刻、華やかな幕を飾りつけるとともに屋上に「ダシ」と呼ばれる作り物をのせて町内を巡行します。その構造上、組み上がったままで各町内に建てられている「山蔵」に収納されています。
 落ち着いた街並みを歩いていくと、三角屋根が愛らしい日本基督教団水口教会に着きましたが、これもヴォーリズ設計事務所の手になるものです。解説板を転記します。
 本教会の歴史は明治中期に遡るが、この教会は昭和5年11月、W・M・ヴォーリズの近江ミッション(後の近江兄弟社)により、牧師館とともに建てられたものである。
 設計はヴォーリズ設計事務所。木造モルタル仕上、平屋建。屋根はもとスレート葺き。礼拝堂に続く畳敷きの和室は珍しい。
 住宅建築を基としたシンプルな外観は、古い城下の街角に、かろやかな「風」をもたらしている。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2017-10-14 06:26 | 近畿 | Comments(0)
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