言葉の花綵169

 暴君の臣民は、ひたすら暴政が他人の頭上に振るわれることを願い、自らはそれを見物してよろこび、"残酷"を娯楽とし、"他人の苦しみ"を賞玩物とし、慰安する。(魯迅 『随感録』)

 いったい、軍隊は不吉なもので、誰でも嫌うからこそ、道を体得した人は籍をおかないのだ。軍事を称えることは、人を殺すことを楽しむものである。人を殺すことを楽しむようでは志を天下に得ることはできない。(老子)

 戦争が 廊下の奥に 立つてゐた (渡辺白泉)

 人をば殺すとも人には殺サれなんどと思ふ時こそ、身もくるしく、用心もせらるれ。人は我レを殺すとも我レは報を加へじと思ヒ定めつれば、先づ用心もせられず、盗賊も愁へられざるなり。時として安楽ナラずと云ふ事無シ。(道元 『正法眼蔵随聞記』)

 敗戦は、私が十八歳の昭和二十年八月十五日。思いもかけぬことで呆然としたが、最も驚いたのは、それまで戦争遂行と戦意高揚を唱えつづけていた新聞、ラジオ放送の論調が一変したことであった。日本の推し進めてきた戦争は罪悪そのものであり、日本国民を戦争に狩り立てた軍部の罪は断じて許し難い、と。(吉村昭 『東京の戦争』)

 あらゆる君主制の歴史は、人間の悲惨を描き出した胸が悪くような一枚の絵と、数年にわたる休息という、偶然による戦争の一時的中止とでなくて何であろうか。その種の政府は戦争に疲れ、人間の殺戮に飽きたところから、腰を下ろして一休みし、それを平和と呼んだ。(トマス・ペイン 『人間の権利』)

 美辞麗句でその道義的性格をほこっていた「大東亜戦争」が、実質的にはいかに残虐な非人間的行為にみたされた「きたない戦争」であったか。(家永三郎)

 反対です。女性として、戦争に行くことはできません。ほかのだれであろうと、送り出すことも拒否します。(ジャンット・ランキン)

 今の世の中じゃ、1%の金持ちをマジョリティーと呼ぶんだ。(「反格差デモ」参加者)

 みんなふたことめには醜い戦争、醜い戦争っていいたがるが、醜くない戦争があったらお目にかかりたいな。(開高健 『岸辺の祭り』)

 欺された欺されたと国民はいう。もしそれが単なる口頭禅ではなく、骨身にしみて感じているならば、たとえいかに困難があろうとも、二度と再び偽英雄や偽指導者に欺されないために、われわれ自身の力で民主主義を正しくするのが真の英雄的な責務であろう。(中野好夫 『われわれの民主主義』)

どんなに忌まわしい過去であっても、歴史の真実を直視し、そこから教訓を学んで、二度と過ちをくりかえさないようにしなければならないのである。(藤原彰)
by sabasaba13 | 2017-12-01 06:28 | 言葉の花綵 | Comments(0)
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