関東大震災と虐殺 45

 非戦・平和・信仰の自由を訴え続けたキリスト教思想家・柏木義円の舌鋒は鋭いです。
 …流言蜚語の馬鹿らしさ苟くも健全なる頭脳の持主の信ず可き事柄にては無之… (④p.114)

 …早晩其真相を明かにして此妄想を一掃不致し永く何時迄も臭い物に蓋致し、有耶無耶に致置候ては後に大害を貽(のこ)すことゝ存候。流言蜚語の出所に想到候時は戦慄を禁じ兼候。(④p.114)

◎殺す勿れ
 今回の大震災秩序混乱の際に乗じ幾多の乱暴が行はれたが世に火事場泥棒と云ふこともあれば、其間に強盗窃盗強迫放火等が行はれても浜の真砂の数多き横着者の絶へない間は亦止むを得ないことであろう。併し亀戸事件や甘粕事件其他どさくさ紛れに世に知られずして闇から闇に葬り去られたる此種類似の事や、鮮人虐殺事件等に至つては国家の為め社会の為めと云ふ名を以て官憲や良民が之を為し、一部社会が之を是認し少くとも之に共鳴同情するのだからこれ実に由々敷一大事で軽々に看過す可きではない。此は軍隊教育の余毒、偏狭なる国家主義教育の余弊、軍国主義の悪影響であることは勿論であらうが、去るにても今回虐殺事件の被告が、私の為に殺したのではなく国の為めとか世の為めとか思つて殺したのだから寧ろ褒められさうなもの、さうでなくともドサクサ紛れにやつたのだから大目に見て置かれさうなものを意外にも検挙されたのは馬鹿を見た、こんなことなら無駄骨折な、せねばよかつた位の後悔で無辜の人を殺して済まなかつたとの、良心に由れる本当の悔改らしきものゝ見へないのは、日本人は本当に人の生命の貴いことを知らないのであるが、これは国民教育=国民性の大欠陥と謂はねばなるまい一派の徒は自警団の殺人暴行を剛健の気象の発露とか、尚武の精神とか云ふて喜んで居る。此れ吾人が今特に此題を掲げて論ずる所以である。(『上毛教界月報』 1923.12.15) (④p.115~6)
 そして布施辰治とともに国家権力と闘った弁護士、山崎今朝弥の文章です。『地震・憲兵・火事・巡査』(岩波文庫)から引用します。
 僕のここで是非言って見たい事は、あの地震と火事は、どうして何処から起ったものか、それはどうしても防げなかったものか。その時の流言蜚語はどこから降って何処から湧いたか。戒厳令は果して当を得た処置であったか、その功罪は果してどうであったか。鮮人問題と支那人問題、附たり過激派と社会主義者。大災に発露した無産者の人情美、それに付けても有産者には人情があるものか。知識階級とは無識者の謂か。新聞社の見識のない事と意気地のない事。国士どころか豆粕にも到らぬ軍人の粕、人間の粕。(p.220)

 ただでさえ気が荒み殺気が立って困っている処へ、剣突鉄砲肩にしてのピカピカ軍隊に、市中を横行闊歩されたでは溜ったものでない。戒厳令と聞けば人は皆ホントの戒厳と思う。ホントの戒厳令は当然戦時を想像する。無秩序を連想する、切捨て御免を観念する。当時一人でも、戒厳令中人命の保証があるなど信じた者があったろうか。何人といえども戒厳中は、何事も止むを得ないと諦めたではないか。(p.223)

 実に当時の戒厳令は、真に火に油を注いだものであった。何時までも、戦々恟々たる民心を不安にし、市民をことごとく敵前勤務の心理状態に置いたのは慥かに軍隊唯一の功績であった。(p.223)

 軍閥者流は折角失墜した、その信用と威光を再び回復するため軍略的に仮想敵国を設けて人心を緊張せしめ、変乱を未発に防いだ功を独擅し、以て民心を収攬し、気を軍閥に傾けしめんと企んだのである。(p.225~6)

 日本人にはナゼ愛国心のある奴が一人もないか、ナゼ目先の見える者がないか、ナゼ遠大の勘定を知らないか、ナゼ早く悪い事は悪いと陳謝ってしまわないか。当時の詔勅を読むがよい、日韓併合は日本ばかりのためではなかった。単なる領土拡張のためにする帝国主義から来たものでもなかった。民法でも府県制でも、果たまた市町村制でも読んで見るがよい、自治も独立も意味は同じで異なる事はない。鮮人問題解決の唯一の方法は、早く個人には充分損害を払い、民族には直ちに自治なり独立なりを許し、以て誠心誠意、低頭平心、慰藉謝罪の意を表するより外はない。(p.234~5)

 一つの悪事を隠蔽するためには幾つも悪事を犯さねばなりません。(p.241)

 今、日本が米国に併呑され、米国人が日本及び日本人を軽蔑しまたは虐待するなら、僕はキットその時、日本の独立運動に狂奔するに相違ない。印度や愛蘭以上の深刻激烈なものであるに相違ない。そうして、先ず第一に独立運動を愛国主義だのと嘲笑する日本人に向かって、生命がけの戦争を開始するに相違ない。解放運動があらゆる桎梏から逃れることが目的である以上民族的隷属に基づく軽蔑や虐待からも解放さるべく、先ず独立運動を捲き起すのは当然だ。僕は今朝鮮問題を考えて真に「自分を抓って人の痛さを知れ」ということをシミジミ日本人として感ずる。(p.276)

 過般の震火災に際し行われたる鮮人に関する流言蜚語については、実に日本人という人種はドコの成り下りか知らないが、実に馬鹿で臆病で人でなしで、爪のアカほどの大和魂もない呆れた奴だと思いました。その後のことは切歯痛憤身震いがします。(p.277)

 吾々は昨年九月の震災を、この一周年に当り如何に記念すべきか、という『読売新聞』の課題に対し、選外壱等に当選さるべきものとして大正十三年八月一日書いた原稿。
(一) 朝鮮人の殺された到る処に鮮人塚を建て、永久に悔悟と謝罪の意を表し、以て日鮮融和の道を開くこと。しからざる限り日鮮親和は到底見込みなし。
(二) 司令官本部に宗一地蔵を建立し、永遠に無智と無謀と幼児の冥福とを祈り、以て排日問題の根本口実を除去すること。米国排日新聞の日本に対する悪口はことごとくこれに原因すればなり。
(三) セッテンデーもしくは亀戸労働祭を挙行し、亀戸警察で軍隊の手に殺された若い労働者の魂を猛烈に祭ること。日本の労働者だからよいようなものの、噴火口を密閉したのみで安泰だと思ってるは馬鹿の骨頂だ。何時か一時に奮然として爆裂するは当然過ぎるほど当然である。(p.278)

by sabasaba13 | 2017-12-06 06:29 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)
<< 近江編(54):近江八幡(15.3) 近江編(53):彦根(15.3) >>