関東大震災と虐殺 59

 そしてこうした差別に、しばしば残虐性や非人間的行為がともなっていたのをどう理解すればよいのでしょうか。もちろん差別自体が人権を軽視した非人間的行為なのですが、目を覆うような残虐な行為があまりにもしばしば付随しています。
 まずは民衆自身の人権や尊厳が、国家によって軽視されていた状況があると考えます。国益のために、労働者や農民の人権を軽視して搾取し酷使し使い捨てる。国益とは言っても、足尾鉱毒事件や谷中村の運命を見てもわかるように、事実上は官僚・軍人・財界の利益なのですが。しかし人びとは自分たちを支え包んでくれる大きな集団の栄光と威信のためと信憑し、忍苦することになります。あるいは諦めてしまいます。その結果、当然の如く、自分自身に尊厳を見出せない人びとは、他者の尊厳を感じることができません。また自分がかけがえのない存在として尊重されていないので、他者をかけがえのない存在として尊重することを知りません。そして人権や尊厳を一顧だにせず、弱者・劣位者に対して蛮行をふるい、鬱憤を晴らす。
 その残虐性については、前述の「体罰の文化」も関係していると思いますが、残虐さを楽しんでいた面もあるのかもしれません。魯迅は「随感録 六十五 暴君の臣民」の中で、こう述べています。(『魯迅選集』 第六巻 岩波書店)
 暴君の治下の臣民は、たいてい暴君よりもっと暴である。(中略) 暴君の臣民は、暴政が他人の頭上にだけふるわれるのを願い、彼はそれを見物して面白がる。「残酷」を娯楽とし、「他人の苦しみ」を賞玩し、慰安にする。自分の手腕はただ「うまく免れる」ことである。「うまく免れた」ものの中からまた犠牲者が選び出されて、暴君の治下の臣民の、血にかわいた慾望に供給される、だが誰であるかは分からない。死ぬものが「アア」と言えば、生きているものが面白がるのだ。(p.57~8)
 日本軍によるシンガポール侵攻を経験したシンガポール上級相リー・クアンユーは、これを「組織的な残虐性(システマティック・ブルータリティー)」と表現されています。(『朝日新聞』 1994.12.31)
 日本軍の侵攻から二、三日後に、彼らは切り落とした首、人間の首を、木のくいや横木にのせて、シンガポールの大きな七、八カ所の橋の上でさらしものにしました。私もその一つを、オーチャード通り(市の目抜き通り)の高層ビルの近くで見ました。首には漢字の札が下げられ、悪いことをすれば、同じように処理される、と書かれていた。
 また、日本兵の歩哨が、将校の車が通過する際、敬礼が遅かったというだけで、将校が車をわざわざ戻し、兵隊を平手打ちにし、空中に投げて、道路にたたきつけるのを見ました。
 私は、これは異なる文化だ、組織的な残虐性を信奉する、異なる人々なのだ、と結論しました。

by sabasaba13 | 2018-01-07 07:23 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)
<< ユージン・スミス展 『ロダン』 >>