京都観桜編(6):亀山(15.3)

 JR嵯峨嵐山駅から嵯峨野線に乗って亀山駅へ。
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 駅構内には石田梅岩の像がありました。えーと、いしだばいがん… 受験用日本史の知識をほじくりだすと、たしか心学の祖でしたね。解説文を転記します。
共生の理念 (実の商人は先も立ち、我も立つことを思うなり)

 石田梅岩(1685~1744)は江戸中期に、現在の亀岡市東別院町に生まれました。本名を興長、呼び名は勘平といい、律儀な父の影響を受けたと伝えられており、京都の商家で、仕事に励むとともに、「人の人たる道」を求めて勉学にも努力を重ね、やがて「石門心学の祖」となりました。
 享保14年(1729)梅岩45歳の時、京都車屋町御池上ルで「聴講無料・出入り自由・女性もどうぞ」という、江戸時代としては型破りな講座で、日常生活における正直・勤勉・倹約・孝行などをわかりやすく講義し、「商人道徳」の確立に大きく貢献しました。
 延享元年(1744)60歳の生涯をとじましたが、梅岩の教えは全国に普及するとともに、時代を超えた現在でも高く評価されています。生涯学習都市を宣言している亀岡市では、梅岩は「市民の学ぶ心」のシンボルでもあります。
 そして目指すは、小川治兵衛(植治)がつくった庭がある楽々荘です。途中に「心学の道」という看板があり、石田梅岩の教えが書かれていました。
 御法を守り、我身を敬むべし。商人というとも聖人の道を不知ば、同金銀を設けながら不義の金銀を設け、子孫の絶ゆる理に至るべし。実に子孫を愛せば、道を学びて栄ることを致すべし。
 "子孫の絶ゆる理に至る"ことを顧みず、ひたすら「今だけ、金だけ、自分だけ」と原発利権に群がる亡者たち、それを陰に陽に支える安倍上等兵政権と自民党、そしてそうしたことに無知・無関心な多くの方々に、石門心学を学んでほしいものです。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-09 06:38 | 京都 | Comments(0)
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