東京錦秋編(2):旧古河庭園・飛鳥山(04.11)

 20分ほどで、旧古河庭園に到着。もとは陸奥宗光の別邸でしたが、次男が古河財閥の養子となった時に古河家の所有となったそうです。彼が農商務大臣の時に、田中正造による足尾銅山鉱毒の告発を無視したのはむべなるかな。コンドル設計の洋館と洋風庭園、京都の庭師・植治こと小川治兵衛が作庭した日本庭園から構成されています。それほど広くない空間に、心字池・雪見灯篭・枯滝・石組を巧みに配置した力量はさすが。
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 さらにテクテク歩いて、飛鳥山公園へ。まずは渋沢史料館を見学しました。このあたりはかつて彼の本邸があったところです。渋沢栄一、近代日本の財界における屈指の指導者として金融制度・会社制度の確立に尽力した人物ですね。深谷には彼の生家と史料館が残されています。嬉しかったのは、彼の孫の渋沢敬三のコーナーがあったことですね。実業家であるとともに、民俗学・生物学にも造詣が深く、私費を投じてアチック・ミュージアム(後の常民文化研究所)を設けて多くの研究者を育てた偉材です。日本史における漁業研究の必要性をいち早く指摘し、『豆州内浦漁民史料』の編者となるなど、炯眼の士でもあります。故網野善彦氏も彼のもとで研究し、非農業民研究に入るきっかけとなったそうな。そうそう『僕の叔父さん網野善彦』(中沢新一 集英社新書)は面白いですよ。その展示に、わが敬愛する民俗学者宮本常一が敬三に出した書簡がありました。いやあガラスに顔を押しつけてむさぼるように読みましたね。律儀で真面目そうな字で
 今さら職について学問をすてる気にはなれませんので、とに角行きつく所まで行って見たいと思います。
 とあるのを読んで感無量。
 隣にある飛鳥山博物館・紙の博物館を見物して、公園を散策。飛鳥山という地名は、鎌倉時代末に紀州熊野の飛鳥明神と若一王子社(後の王子神社)を遷したところから生まれたそうです。八代将軍徳川吉宗は鷹狩りの際にしばしば飛鳥山を訪れていましたが、自分の出身地の紀州にゆかりがある事を知り、1270本の山桜の苗木を植裁し、やがて江戸庶民にも開放されるようになりました。ノブレス・オブリージュ(=身分の高いものは社会的責任を負う)を感じますね、同じ「暴れん坊」でも小泉純一郎首相との大きな違いです。さすが飛鳥山、桜の紅葉がみごとでした。
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 本日の一枚は、旧古河庭園です。
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by sabasaba13 | 2005-11-20 08:45 | 東京 | Comments(0)
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