そして次の目的地、金木に約20分で到着。まずは太宰治の生家斜陽館(1907年落成)を拝見しました。彼は「苦悩の年鑑」の中で「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と書いていますが、たしかに大きい家ですね。正直に言って趣味の良さは感じられません。小作米が山と詰まれた広い土間、小作争議に備えて張り巡らせた煉瓦塀は、太宰治を理解するうえで不可欠の物件ですね。彼の生まれた部屋や、彼が遊んだ土蔵、津島家御仏壇も見ることができます。
すぐ近くには、幼い頃の彼が女中のたけによく連れてこられた雲祥寺というお寺さんがあります。余談ですが、この寺のホームページは面白いですよ。BGMがスカルラッティというのが鯔背だし、島倉千代子の「彼岸御和讃」や三橋美智也の「盂蘭盆会御詠歌」を聴くこともできるし、おみくじ太宰版のおまけつき。それはさておき「思い出」という随筆(新潮文庫「晩年」所収)に「たけは又、私に道徳を教えた。お寺へ屡々連れて行って、地獄極楽の御絵掛地を見せて説明した。…嘘を吐けば地獄へ行ってこのように鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。」と描かれている地獄絵も本堂で見ることができます。なお、廻してそのまま止まれば極楽行き、止まる寸前に逆に廻れば地獄行きという金輪つきの卒塔婆は見当たりませんでした。何十回廻しても逆回りし絶望したと「思い出」に書いてあったのですが。
●雲祥寺
http://www.jomon.ne.jp/~oldpine/
本日の一枚は、雲祥寺の地獄絵です。原発と基地を抱えているかぎり、この煉獄が現出する可能性はないとはいえません。