「啄木 ローマ字日記」

 「啄木 ローマ字日記」(桑原武夫編訳 岩波文庫)読了。「漱石日記」の次の厠上本(便所で読む本)でした、一さん御免なさい。 Hareta Sora ni susamajii Oto wo tatete, hagesii Nisi-Kaze ga huki areta. 日記の冒頭部分です。石川啄木は十年にわたって日記を書いていますが、そのうち1909(明治42)年4月7日から6月16日までの間は、ローマ字で記しています。何故と、ずっと疑問に思っていたのですが、桑原武夫氏の解説で疑問が氷解しました。
 啄木はローマ字という新しい表記法をとることによって、彼の上にのしかかるいくつかの抑圧から逃れることができた、と考えられる。(1)それが家族の人々には読まれない、という意味で精神的、さらに倫理的抑圧から。(2)日本文学の伝統の抑圧から。(3)それらをふくめて、一般に、社会的抑圧から。それらから逃れて、この日記のうちに彼は一つの自由世界をつくることによって、その世界での行動すなわち表現は、驚くべく自由なものとなりえた。
 なるほど。確かにここには、自分を赤裸々に描きつくそうとする啄木がいます。自由や安心への渇望と、家族(老母・妻・娘)に対する責任に引き裂かれ、そして貧困のどん底で喘ぐ啄木。朝日新聞社から給料を前借りし、その金で女郎を買い本を買い、苦境にある友人を救う啄木。そして迫りくる肺結核の黒い影… 中には一日分を数ページもかけて書いた日記もあり、まるで短編小説を読んでいるようです。そうした苦境の中でも、小説・評論・短歌・日記という形で自己を表現しようと彼はもがき続けます。
 予は 弱者だ、たれのにも劣らぬ 立派な力をもった 弱者だ。(1909.4.10)
 便所で読むにはかなり重い日記ですが、充実した時間を過ごせました。なお上京してきた老母・妻・娘のために用意した下宿が、本郷弓町の喜之床だったのですね。現在、明治村に保存されています。印象に残った日記を二ヶ所、そして彼の代表的な評論「時代閉塞の現状」の一節を引用します。
 Nani ni kagirazu ichi-nichi Himanaku Shigoto wo shita ato no Kokoromochi wa tatoru mono naku tanoshii. Jinsei no Shin no fukai Imi wa kedashi Koko ni aru no daro! (1909.4.23)

 Nido bakari Kuchi no naka kara obitadashiku Chi ga deta. Jochu wa Nobose no sei daro to itta. (1909.5.14)

 我々青年を囲繞する空気は、今やもう少しも流動しなくなつた。強権の勢力は普く国内に行亘つてゐる。現代社会組織は其隅々まで発達してゐる。-さうして其発達が最早完成に近い程度まで進んでゐる事は、其制度の有する欠陥の日一日明白になつている事によつて知る事が出来る。(1910)
 次なる厠上本は「戦中派不戦日記」(山田風太郎 講談社文庫)です。なおこれまでに行ってきた啄木関連のバックナンバーを紹介します。ご照覧ください。渋民 盛岡 札幌 小樽 函館
by sabasaba13 | 2006-01-14 09:31 | | Comments(0)
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