「アンベードカルの生涯」

 「アンベードカルの生涯」(ダナンジャイ・キール 光文社新書195)読了。ふと何気なく本屋で手にして購入した本です。表紙の折り返しに記されている彼の言葉に興味を覚えたましたもので。
 もし私が、私がそこに生れ育った階級が呻吟する、忌わしい奴隷制と非人間的不正をやっつけることができなかったら、頭に弾丸をぶちこんで死んでみせる
 凄い。実は情けないことに、この方の名や事績を一切知りませんでした。こんな凄い人間がいたとは。スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。Bhimrao Ramji Ambedkar (1891~1956) 現代インドの社会改革運動家、政治家。デカン西部の大カーストで、かつて不可触民カーストの一つとされていた「マハール」の出身。ボンベイ(現ムンバイ)の大学を卒業したあとアメリカ、イギリスに留学。1920年ごろから不可触民制撤廃運動に献身。社会改革団体や政党を組織し、大衆示威運動を指導した。独立達成よりも社会改革を優先させるという立場から、ガンディーの指導する国民会議派の民族運動を批判。30~32年のイギリス・インド円卓会議に、被抑圧階級の代表として出席した。インド独立後は初代ネルー内閣の法相となる。また、憲法起草委員会の委員長として共和国憲法の制定に中心的な役割を果たした。この間、下層民の教育向上にも尽力し、シッダールタ・カレッジをはじめ数多くの教育機関、教育施設を創設した。なお、不可触民制を是認するヒンドゥー教を棄てる決意を35年に表明していたが、死の2か月前の56年10月に数十万の大衆とともに仏教へ改宗した。
 彼の人生は、カースト制を叩き潰し、不可触民の人間としての権利を勝ち取るための闘争の連続であったことが、この伝記を読んでよくわかりました。現状についてはわかりませんが、当時の不可触民が、そして彼自身が強いられてきた差別にまず言葉を失います。例えば…
 人びとを何よりも惨めにし、苦しめたのは、村の共用井戸の使用をどこでも禁じられてきたことであり、自分たちの井戸を掘る力のない不可触民は、カーストヒンズーの憐れみにすがり、その人びとが水を汲んであたえてくれるまで朝から晩まで井戸の周りで待つしかなかった。夏の激しい渇き、労働の後の渇き、生命を維持するために絶対不可欠な“水”すら意のままにならず、それを癒す手段さえ奪われていた。人びとは仕方なく腐った溜り水や汚水を掬って飲み、伝染病や病に冒されてその最大の犠牲者になっていった。
 詳細はぜひこの本を読んで欲しいのですが、この困難な問題に対して、彼は不退転・不撓不屈の決意で臨み、長期の粘り強い戦い・運動・交渉の結果、差別を廃止する条項を憲法に盛り込むことに成功します。印象深いのはガンディーとの対決です。カースト制を維持したまま、不可触民の地位向上を図ろうとするガンディーと、真っ向からこれに反対しカースト制の即時廃止を求めるアンベードカル。妥協を強いるために、何千万(何億?)ものインド人の支持をちらつかせ威圧し、死を覚悟した断食まで行ってアンベードカルを追い詰めるガンディー。己の信念を曲げずに孤立無援の中、ガンディーに最後まで抗うアンベードカル。手に汗握る緊迫した箇所です。私の知らなかったマハトマの一面を垣間見ることができました。「中村屋とボース」(中島岳志 白水社)も出たことだし、この三人を通してインドの近現代史を見直してみようと考えております。
 印象に残った彼の言葉です。
 この国にとって愛国的となるようなことを私がしたとするなら、それは私自信の良心に恥じない心からそうしたのであり、愛国心からではありません。長い間虐げられつづけた同胞に基本的人権をかち取るためなら、この国のためにならないことを幾らでもやってのけるでしょう。それが罪になるとは思わないからです。
 わかりました、国家よりも、まず人間。しかし日本という国家では、自民党・公明党・官僚・財界が、「勝ち組」「負け組」という柔らかいカースト制をつくろうとしているのです、Mr.Ambedkar。そしてグローバル資本によって、世界全体に新たなカースト制が敷き詰められようとしています。
by sabasaba13 | 2006-01-22 08:19 | | Comments(0)
<< 麻婆豆腐 北海道編(6):夕張石炭の歴史... >>