臨時バスに乗って御室まで直行、嵐山電車で嵐山駅に行きました。山ノ神が乗ったことがないというので、先ほどのお詫びをかねて奮発して電動自転車を借り受けました。私、電動自転車が大好きなんだなあ。人間の力を機械が手助けしてほどほどの結果をだす、人間と機械の関係はその程度でいいのじゃないかなあ。それにしても駅前は想像を絶するとってつもない混雑です。人人人車人車人人車バス人力車バス人車人力車車人人バス… これでは皆さんと同じ方向に行ったら身動きがとれなくなるのは目に見えています。よって逆走することに決定、まずは清凉寺へ。ここは穴場ですね、見事なもみじの林があります。
そしてすぐ目の前の宝筺院へ。うーむ、ここは素晴らしい。小振りな境内を埋め尽くす木々がさまざまに色づいていました。もうグラデーションに富んだ色彩の饗宴と爆発に息を呑んでしまいます。特に満天星(どうだんつつじ)の紅葉が美しい。小さなお堂があり、ここに上がってお庭を眺めるのも一興。何とか精神的・肉体的に耐えられる程度の混み具合です。なお、敵ながらも楠木正行の人柄に惚れこんだ室町幕府第二代将軍の足利義詮が、彼の首級を葬った塚をたて自分もその傍らに葬ってほしいと頼んだそうです。今でも仲良く二つの墓が並んでいます。敵に敬意を表したり、御霊を怖れて敵を手厚く葬るというのがこの列島の伝統だと思います。敵を一切慰霊しない
靖国神社のやり方は、伝統から逸脱した近代に固有の特殊な感性ではないかな。戦争を立案・計画・遂行した公務員だけを祀る神社を参拝して平和を祈るなどと言っても、軍靴に踏みにじられたアジアの人々は絶対に納得しないでしょう、小泉首相。それにしても「ご理解いただきたい」という曖昧かつ不正確な言い方は、ぜひやめていただきたいですな。近代の戦争をすべて肯定・賛美し、A級戦犯を含めた軍人・軍属のみを祀る宗教法人を、政教分離の原則を無視して一国の首相が参拝しているという事実は、中国も韓国も理解していると思いますよ。問題はそれに納得していないということではないのですか。協力して「公共性」を作り出すのが
言語の重要な機能でしょ。
本日の一枚は宝筺院です。